ラファエロ展@国立西洋美術館 予習②

前回に続いて、ラファエロ展の予習ということでラファエロの絵画についてアンチョコをパクッ・・・もとい、予習した記録を付けたいと思います。

ラファエロで有名な絵画といえば、こちら。
ヴァチカン宮殿の「アテネの学堂」ですね。
「アテネの学堂」は、1509年-1510年に描かれたもので、27歳頃の作品です。
ローマに移住して2年で教皇から、教皇の公邸での仕事を任されるようになるんですから、いや~、名前も売れてたんでしょうねぇ。
ラファエロ以外にも当時、有名だった画家たちにも仕事を依頼し、その中からラファエロが選ばれたということで、よほどラファエロのプレゼンが教皇の心をゲッチューしたのだと思われます。
アテネの学堂
この絵が描かれているのは、ヴァチカン宮殿の「署名の間」ということで、教皇の公的な用事に使われる部屋なのですが、キリスト教の最高権威の部屋にギリシャ神話等の題材を持ってくるんですから、ルネサンス期の芸術活動は、宗教上の区分も乗り越えるだけのエネルギーがあったんでしょうね。
ルネサンスは、古典古代のギリシャ・ローマの復興運動ということですが、この「アテネの学堂」には、古代ギリシャの学問所に、「ソクラテス」「プラトン」「アリストテレス」等の当時の文人が集っている様子が描かれています。
とりあえず、画中に誰が描かれているかを番号付けしてみました。
①プラトン:モデルは、ダ・ヴィンチ
②アリストテレス
③ソクラテス
④ピタゴラス
⑤ヘラクレイトス:モデルは、ミケランジェロ
(前540~470頃の「泣く哲学者」とかで、陰気な人だったらしい。画中でもそんな感じですね)
⑥ディオゲネス
(前4世頃の哲学者で、モノを持つことを嫌って、樽の中に住んだとか・・・なので、裸なんですかね)
⑦ユークリッド:モデルは、ブラマンテ
⑧イル・ソドマ:同時代の画家
(ラファエロがこの部屋の装飾を手掛ける前に、この部屋の装飾の一部を手掛けていた画家ということで、画中に描いたもの)
⑨ラファエロ(さりげなく、自身も画中に登場させてギリシャ文化の継承者ということを表現したらしいですね・・・画中のモデルに同時代の著名な画家達も採用されていて、ギリシャ時代の人物と画家達とともに自分もそういった人物達と並ぶ存在ということをアピールしたんでしょうか。シレッとした自己主張、小坊主は好きですよ~)

画家達と画中の人物との一致具合はよく分かりませんが、画中の人物が誰なのか?は、相応の教養のある人間であれば分かるようになっているというところが、ラファエロの教養の深さを表わすものと言われています。

プラトンとアリストテレスも画中で本を持っていますが、その本はそれぞれの著書である「ティマイオス」と「倫理学」となっています。
また、プラトンは手を天に向け、アリストテレスは手を水平に突き出しています。
これも、プラトンの理想主義とアリストテレスの実践哲学を表現しているとか・・・いや~、アンチョコをパクらずにそんなこと分かるか!と、小坊主の浅学っぷりが晒されてしまうわけですが、当時の教養ある方々には「ニヤリ」としながら、画中の人物達について会話する良いネタになったのかもしれません。
聖体の論議
こちらは「聖体の論議」というもので、「アテネの学堂」と同じ署名の間に描かれています。
描かれた順番としては、こちらが一番最初に描かれました。
画面は雲によって上下に分かれていて、上部が「勝利の教会」(教会の勝利)と下部が聖体について論議する?「戦う教会」とされています。
中央では、神(父)・キリスト(子)・ハト(聖霊)・聖体という縦のラインが結ばれており、三位一体が表現されています。
天使が持っているのは、四福音書です。
下部に描かれている人物達には諸説あるようですが、フラ・アンジェリコ・ブラマンテ・聖アウグスティヌス・ダンテ等々の歴史上の人物を描いているとされています。
キリスト教の神学を象徴的に表現し、キリスト教にかかわる歴史上の人物達を動きを持たせながら描いていくことで、「教会の勝利」というテーマにまとめ上げていった大作です。
教皇の公邸に描くに相応しい題材で、また、キリスト教の神学と西洋哲学とを一つに融合させたラファエロの力量に感嘆します。
パルナッソス
こちらは、「署名の間」の北側に描かれている「パルナッソス」です。
「パルナッソス」というのは、ギリシャ神話でいうところの「パルナッソス山」にあたります。
パルナッソス山にアポロンを中心に、9人のムーサ(女神)たちと18人の詩人が集っている状態です。
カリオペ・エラトもムーサの1人ですが、ムーサは詩・歌・芸術にかんする女神達で、アポロンに付き従うものとなっています。
ムーサ達は本来は霊感を与える泉を支配するニンフだったようで、その泉の一つがパルナッソス山にあるカスタリアの泉で、そこがムーサ達の住処なのです。
ムーサ達には9人それぞれに、次の名前と役割が与えられています。
・クレイオ   ・・・歴史。
・エウテルペ ・・・音楽と抒情詩。
・タレイア   ・・・喜劇、田園詩。
・メルポメネ  ・・・悲劇。
・テルプシコレ・・・踊りと歌。
・エラト     ・・・抒情詩と恋愛詩。
・ウラニア   ・・・天文学。
・カリオペ   ・・・叙事詩。
・ポリュムニア ・・・英雄賛歌。

アポロンはオリュンポス12神の1人で、人間性の理性的で文明化された面を表わすものとされています。
音楽家としての面も持ち合わせており、このアポロンとムーサ達が一緒に描かれる題材は、昔から詩と音楽の寓意を表わすものとして描かれてきたものです。
ホメロスは、「イリアス」と「オデュッセイア」を書いたギリシャの盲目の詩人です。
イリアスは、ギリシャ神話を題材とした最古のギリシャ叙事詩。
オデュセイアは、ギリシャの英雄オデュッセウスの冒険を記した物語。
ここでは、アポロンとムーサ達と一緒に描かれることで、やはり詩と音楽の寓意を表わす形になっています。
ルネサンスの文学・芸術賛歌といえるもので、ルネサンスの古典古代の理想を表現しようという精神が表わされたものと言えます。
「アテネの学堂」や「聖体の論議」と比べると、ちょっと手を抜いた?な感じで、他の作品と比べると完成度が少し微妙かもしれませんが、傑作だと思います。
エゼキエルの幻視
この「エゼキエルの幻視」は、今回の展覧会でも展示されていますね。
エゼキエルは四大予言者(他の3人は、イザヤ・エレミヤ・ダニエル)で、前579年にバビロンに移住したユダヤ人です。
エゼキエルは、川のほとりで幻視を体験し預言者としての召命を受けたとされ、その川のほとりで体験した幻視を表現したものが、この「エゼキエルの幻視」という作品です。
エゼキエルは、ある日、激しい風と光り輝く雲の中から、4枚の翼をもった人間・ライオン・牡牛・鷲の顔をした生物と神が表れるという幻をみたとされています。4体の生物は「黙示の獣」として、「ヨハネ黙示録」にも登場しています。
中世では、四福音書記者の象徴とされていたようです。
幻視をえたエゼキエルは左下に小さく描かれていますが、メインは画中に大きく堂々と表現された幻視のイメージです。
幻視の内容がストレートに表現されていて、神の存在感が圧倒的です。
絵の大きさは、40cm×20cmと小さな作品ですが、その美しさは飛び抜けていると思います。
キリストの変容
この「キリストの変容」はラファエロ最後の作品で、この作品の製作中に亡くなってしまいました。
この絵も上下に分かれていて、上段はモーセ(石版)・エリヤ(預言書?)とともにキリストが描かれ、その下に驚いて地に倒れている使徒たちがいます。
これは聖書で山の上で預言者とともに語り合い、光り輝く姿を弟子達に見せたという場面があり、その姿を描いたものです。
下段は、悪魔に憑かれた少年を治癒する場面を描いたものですが、上段のキリストと弟子達の場面とは、直接の繋がりがあるものではないようです。
絵的には下段の赤い服の男性が上段のキリストを指さすことで、下段から上段への繋がりが見られます。
絵的には大胆な動きのある絵で、キリスト等が空中に浮かぶ姿には上昇するダイナミックさが感じられます。
悪魔に憑かれた少年の表情も、虚ろな感じがよく表現されていて、その他の人物達もずいぶん大きく動いているのに、安定感の崩れない素晴らしい絵です。
この安定感はキリストを頂点とした、八の字の構図から生まれるものでしょうが、それぞれの登場人物が互いに殺しあわず一体となっているところに、素直に感心します。

とりあえず、ラファエロ展の鑑賞までにラファエロについて、予習するぞ!と勢いつけてやってきたのですが・・・天才の作品を見ていくのも大変で、小坊主のエネルギーが尽きてしまいました(笑
正直、ラファエロ展に来ている絵をもっと見る必要があったんですが、それ以外の有名な絵の方を知らなかったこともあって、そちらを優先してしまいました。
こうやって見ていくと、ダ・ヴィンチやミケランジェロの影響を受けながら、どんどん絵の完成度と個性が創られていく様子が分かって、面白かったです。
本当に37歳という若さで亡くなってしまったのが残念ですが、それ以降の絵画でずっと絵画の規範として扱われたラファエロの影響力を垣間見ることが出来ました。
いや~、たまには苦行も我慢してやってみるものです。
正直、まだまだ分かってないことや知らないことも多いですが、好きなことなので地味に続けていきたいなと思っています。
次はラファエロ展の感想か、7月に鑑賞予定のレオナルド展@東京都美術館の予習でもしようかな。

ラファエロ展@国立西洋美術館 予習①

今月末に国立西洋美術館で開催されている「ラファエロ展」に行くので、事前に予習をすることにしました。

ラファエロと言えば、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロにならぶルネサンス期の巨匠です。
今回の展覧会では、「大公の聖母」日本初公開に加えて、ほか20点以上のラファエロの作品が鑑賞できるようです。
ということで、少しは知識を灰色の脳みそに詰め込んでから、鑑賞したほうがもっと楽しめそうなので、予習という苦行に耐えることにしてみました。

まずは、ラファエロ自身について軽く人生の流れを調べてみました。
1483年  ウルビーノで誕生
1491年~1494年 この間に父母を亡くし、11歳からペルジーノ工房で修業を始める。
*ペルジーノ 1450年~1523年頃のイタリアの画家 ペルジーノとは、ペルージャ人のことで、システィーナ礼拝堂の壁画装飾を担当するなど、当時でも有名な画家・・・だったようです。どうやって、そんな有名画家の工房に入れたのか分かりませんが。
1504年 フィレンツェへ移住。「聖ゲオルギウスと竜」等を制作。
1505年 「大公の聖母」「一角獣の貴婦人」等を制作
1508年 ローマに移住(25歳)
1510年 「アテネの学堂」完成(27歳)
1512年~1518年 上流階級の仕事などを精力的にこなす
1519年 システィーナ礼拝堂のタペストリ完成。「友人のいる自画像」制作
1520年 「キリストの変容」制作。46に高熱のため死去(37歳)
       国葬扱いで、ローマのパンテオンに埋葬
67歳まで生きた「ダ・ヴィンチ」や89歳まで生きた「ミケランジェロ」と比べると、37歳で亡くなっているので、早逝ですね。
反対に37歳までに多くの作品を作成し、巨匠と呼ばれるほどになるんですから、当時から才能がほとばしってたんでしょうね~。
だいたい、27歳の時点ですでにシスティーナ礼拝堂の壁画装飾に携わってるんで、世間に認められるのも早い!
ルネサンス期の社会背景とか調べだすと、いろいろ面倒くさ・・・大変で小坊主の灰色の脳みそには限界があるので、そういった所は別の機会にして、今回は展覧会に絡んだ作品等を見ながら、予習したいと思います。

というわけで、今回、日本初公開となる「大公の聖母」から見ていきましょう。
大公の聖母
ブノワの聖母

こちらが「大公の聖母」ですが、まずは聖母の表情がとても穏やかで、背景の黒さもあり、この黒い背景から浮かび上がるような聖母子の姿が印象的です。
ラファエロは「聖母子の画家」と言われるほど、数多くの聖母子を描いており、30~50点もの聖母子画があるようです。
その中で、この「大公の聖母」のみ背景が漆黒に塗られていて、何か特別な意味や背景があるのでは?ということで、専門家によるX線調査の結果では、ラファエロ没後に黒く塗られたものということが分かっています。
調べてみないと分からない事が、いろいろあるんですね~。
この「大公の聖母」はダ・ヴィンチの「ブノワの聖母」の影響を受けているのではないかと思われ、構図がたいへん似ています。
また、黒く塗られる前の絵には、「ブノワの聖母」のように右上に扉があり、そこから景色が描かれていたと考えられています。
そう見ると、絵の構成的には「ブノワの聖母」とまったく同じで、聖母子の顔の一部はスフマート技法で描かれています。
こうやって絵を並べてみると、そういう所がよく分かるし、ラファエロがダ・ヴィンチやミケランジェロからの影響を自分流に上手くアレンジして、自分の絵画に反映させていると言われますが、なるほど~と納得してしまいますね。
ラファエロ没後に誰がなぜに背景を黒く塗ったのかは分からないですが、「ブノワの聖母」だと、聖母がちょっと俗っぽくてお母ちゃん!って雰囲気があるんですが、「大公の聖母」は静謐な雰囲気があって、絵に締りがあります。
黒く塗られて、魅力がアップして成功した例じゃないでしょうか。
ひわの聖母
まき場の聖母

こちらは、どちらも1507年頃に描かれた「ひわの聖母」と「まき場の聖母」です。これも構図がとても似てて、描かれる小道具で題名を判別するしかないなぁって感じです。同じ題材で、注文主それぞれのために描き分けた作品なのかもしれませんね。
「ひわの聖母」は洗礼者ヨハネが持つ「ひわ」に、幼児キリストが手を伸ばす様子を描いていて、「ひわ」はキリストが茨の冠をかぶせられた時に、茨をクチバシで抜こうとしてキリストの返り血を浴びたとされています。
そこから、キリストの受難と血の贖罪を表わすということで、この絵はキリストの後の受難を自ら選択することを暗示しているそうです。
この構図も本来はダ・ヴィンチからの影響で、「岩窟の聖母」(どっちの岩窟の聖母か分からなかったのですが)の構図から来ているものです。

岩窟の聖母
ブリージュの聖母

いわゆる三角構図というもので、聖母の頭部を頂点にして、足元の幼児のキリストと洗礼者ヨハネが三角形を形づくるという構図です。
人物の構図は、ミケランジェロの「ブリージュの聖母」から影響を受けていると言われますが、聖母の足の間にキリストがくるという構図が確かに似ています。
同時代の画家同士が影響を与えあうのは当然ですが、ラファエロは自分流へのアレンジが上手いですね。
個人的には、ラファエロの血の通った聖母子の描かれ方が好きです。
特に聖母の表情が魅力的で、9歳頃に母を亡くしたラファエロの理想が反映されているのかもしれません。
聖母続きで何ですが、下の「小椅子の聖母」と「サン・シストの聖母」もどこかで見たことあるな?という方もいるのではないでしょうか。
小椅子の聖母
サン・シストの聖母

「小椅子の聖母」、「サン・シストの聖母」もともに1514年頃の作品です。
ラファエロは本当に多くの聖母子像を描いていますが、この「小椅子の聖母」は聖母子の表情が他の神秘性を与えられた聖母子と違って、溢れるような親密性に満ちてます。
円形というのも効果的で、圧縮された空間に聖母子がギュッと詰められることで、密着した感じから聖母の愛情がより強く表現されるようです。
しかし、ここに描かれる聖母は服装からターバン?も独特で、聖母子像と言われないと何かの肖像画等と間違えそうです。
洗礼者ヨハネなんか、これが聖母子像であることを形にするためのオマケみたいな感じです。
パトロンの奥さんか誰かをモデルにしているのでしょうか。

「サン・シストの聖母」は、画面にカーテンレール付きでカーテンが描かれてます。また、下の方には天使が肘をついているなど、なかなか変わった描き方をしていますね。
この絵は教皇ユリウスⅡ世を弔うために描かれたものだそうで、絵の左に描かれているのが、シクストゥスになぞらえた教皇ユリウスⅡ世です。
左下の3つに重なった冠も、教皇位を示すものということで、持物を通しても人物が誰か分かるようになっています。
右側に描かれているのは聖女バルバラで、キリスト教の洗礼を受けたところ、異教徒の父にローマに引き渡され拷問を受けながらも棄教せず、父に刺殺された殉教者ということです。
何でこの女性が聖女バルバラか?ということですが、バルバラは求婚者を退けるために塔に幽閉されていたということになっています。
そのため、彼女の持物には塔があるのですが、絵の右側に小さく見えているのが塔に当たるんではないかと思います。
反対に当時、聖女バルバラが人気あったからという理由もあるらしいですが・・・よく分かりませんでした。

とりあえず、今回は聖母子ばかり見てきましたが、これだけの聖母子を描きながら、多様な表情を描きわけていくラファエロの才能に驚きです。
性格も温厚で人気があったということで、寿命以外は全てを与えられた天才という感じで、小坊主としては羨ましい限り・・・
予習②の苦行に耐える精神力が残っていたら、次はアテネの学堂等も見てみたいと思います。

神田祭からの『自家焙煎珈琲 みじんこ』にてボリューミーなホットケーキを味わう@神田、御茶ノ水

神田祭

神輿
 5月12日に神田祭へ行きました。
 神田祭は本来、2年に一度、開催されるものですが、2011年は東日本大震災のため開催されず4年ぶりの開催ということで、一回は行っておかねば!ということで、お上り気分を満載して行ってまいりました。
 11日は雨の中、大変だったようですが、12日は良い天気に恵まれてお祭り日和になりました。
 また、12日は「神輿宮入」ということで、町会の神輿が順々に境内に入って行って参拝する姿を見ることが出来ました。
 神輿が境内に入っていく風習?は初めて見たのですが、神輿が神田明神前に到着する度に祭りの盛り上がりを感じて、こちらもワクワクします。


 祭りと言えば神輿も魅力ですが、神輿以外にも各町会の衣装や祭囃子も、大事な要素ですね!
 他にも飲みすぎたのか、道路で寝ているふんどし姿の男性や迷子に対応する警察の姿も見ましたが、長閑な感じで下町?の祭りらしさがあります。
 東京には江戸三大祭のほか、いろんな神社での祭りが多いので、今年はそういう祭りに積極的に行ってみたいと思っています。
 5月は三社祭
 6月は山王祭がありますね。
 山王祭は江戸三大祭といいながら、今まであまり意識したことがなく、開催そのものにも注目していなかったので、どんな祭りか自分の目で確かめたいものです。
 8月の深川八幡祭も存在は知っていたけれど、こちらも見たことがないので、行ってみたい。
 本当は、それぞれの祭りの背景や神輿の違いなどを理解しておけば、もっと楽しいのだと思いますが、まだまだお上りさんなのでミーハーパワーを原動力に楽しむことから始めます!
みじんこ ホットケーキ
ホットケーキ 断面
 神田方面には、ホットケーキ・パンケーキ好きには、一度は行っておかねばならない「みじんこ」なる聖地があります。
 今回、せっかく近くまで行くということで、行ってきました!
 さて、実食となったわけですが、このホットケーキには感動しました。
 外側のカリカリ具合に、内部のフワッとした食感。
 シロップが染み込んで、ホットケーキの甘みといい感じに絡み、舌の上でとろける味わいです。
 行列が出来るのも、納得の味でした。
 だんだん暖かくなって、自転車での移動も楽しい季節になってきました。
 これからは、また、いろいろと散策を兼ねて各エリアのスイーツ等も発掘していきます!

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「みじんこ」
東京都文京区湯島2-9-10 湯島三組ビル1F
JR線 御茶ノ水駅から徒歩7分
03-6240-1429

営業時間
平日11:00~21:00
土日祝11:00~20:00
定休日 火曜日



表も裏もかなり(自分なりに)頑張って『花』で埋め尽くした皿@陶芸

表面 絵付け中

裏面 絵付け中
表面 完成
裏面 完成
 三枚の皿シリーズが、やっと完成しました。
 今回の皿は大きめなのもありますが、絵付けを表裏面にしたのと、絵柄を花で埋めてしまったので、こちらを描くのにとても時間がかかりました。
 皿を作るのは1回で終わっているんですが、絵付けと釉掛けまでに4~5回ほどかかっています。
 結局、1ヶ月に2回程度しか作りに行っていないので、完成までに4ヶ月くらいかかりました。
 花の絵柄は、そこそこ描けたと思っています。
 いつも通り、絵柄集からのインスパイアですが(笑
色については、こちらもいつも通り派手になりました。
 今回はいくつか色を混ぜて作っていますが、紫を3種類とオレンジが混色によるものです。
 正直、紫はもっと赤みが欲しかった・・・
 紫!な色合いにならず、黒っぽくなってしまったのがとても残念です。
 反対にオレンジは、とてもいい色が出てくれました。
 色の配置は、適当に勘でやってますが、まぁまぁ殺しあわない程度に配置できたかなと思っています。
 全体的には、好みの感じに作り上げることが出来たので、満足しています。




絵付け中はもっと華やかになると思った『うさぎと月』の皿が@陶芸

下絵付け時

久しぶりに皿が1枚、完成しました。
ちょうど、秋ごろに作っていたのでうさぎと月で中秋の~を気取っていたところ・・・完成が結局、年明けになるという。
本焼きのタイミングが年末にかかってしまいズレてしまったのもあり、仕方ないですね。
正直、急いで作ってないので、完成時期はいつでも良いんですが(笑
今回は、ウサギの下の紫の草の部分の色がどう出るか心配していました。
絵の具に紫がないので、絵の具を混ぜて紫を作っているので、焼き上がりまでどう発色するか分からないのです。
今回は赤紫な感じで出てくれて、まあまあ良かったと思います。
紫がそのまま出ていると、また、違った雰囲気になったとは思いますが。
本焼き後

後は月と雲の水玉の部分がまあまあ明るく出てくれました。
ところどころ、本当は白色も入れていたのですが、残念ながらこちらは上手く発色せず・・・
これは、前の四季皿を作ったときに、竹に雪をあてたときも同じ結果になってしまったので、透明釉で白は難しいです。
とりあえず、全体的に落ち着いた雰囲気に収まったかなと思います。

一番下のものは、今、制作中のものです。
こちらも花がメインで、だいぶカラフルにしてしまってますが、色同士が殺しあわなければ良いなぁと思いつつ、色をたくさん入れてしまっています。
裏面にも花を描いているので、花だらけになるんですが・・・
こちらは、完成までまだまだ時間がかかりそうです(笑
制作中

リヒテンシュタイン展@国立新美術館 レビュー

リヒテンシュタイン展@国立新美術館へ行った記録です。
混み具合   辛 い/1・2・③・4・5/快適
作品の数   少ない/1・2・3・4・⑤/多い
面 白 さ つまらない/1・2・3・4・⑤/面白い

リヒテンシュタインという貴族が今も現役で、ウィーンに侯国として今も現存していることを恥ずかしながら知りませんでした。
展覧会にはリヒテンシュタイン家の簡単な歴史が説明されてましたが、神聖ローマ帝国時代から続いていて、美術品をコレクションすることで侯国の存在を認められるまでになったというのが、すごく不思議な縁をもった一族なんだなと思います。
個人的には美術の蒐集なんて、道楽や趣味みたいなものという印象があるんですが、リヒテンシュタイン家は違います・・・侯国の主は代々美術の蒐集と保護に努め、目利きであるべし!
家業に精を出し、勤勉に努めよ!と同じ意味合いで、美術コレクターに努めよ!って言っているので、スゲー家訓ですよ(笑
でも、美術コレクションに努めることで、ハプスブルク家の重臣として出世し、神聖ローマ皇帝から「あなたのコレクションを見せて欲しい」なんて手紙をもらうまでになるんだから、どこから道が開けるか分かりませんね!

とりあえず、今回、印象に残った絵画等を見てみたいと思います。
ヨーリス・ファン・ソン
「倒れた水差しのある静物」

今回の展示でまず、面白かったのは「バロック・サロン」という一室が作られていて、リヒテンシュタイン家の美術品が展示されているウィーンの「夏の離宮」を模した部屋です。
「夏の離宮」では、美術品が建物の装飾や調度品と調和するように配置され、空間全体で美術品の存在を表現する形をとっているそうです。
単に絵画を並べるだけではなく、天井画もあるということで、その天井も再現されていました。
ここは、部屋に入った瞬間に、おぉ!とこれまでと明らかに違う空間のオーラに一瞬、圧倒されました。
美術品の発する空気の濃密さを、肌で感じることが出来ます。
この部屋の美術品には、キャプションがついておらず題名なども表示されていません。
そのため、入口で入手する「バロック・サロン」専用の解説を片手に、美術品と資料を見比べながら鑑賞することになります。
絵画以外にも素晴らしい調度品も展示されており、まさしく”サロン”と呼ぶに相応しい空間です。
ウィーンの「夏の離宮」は、1807年から一般公開されていたようですが、第2次世界大戦時に戦火から美術品を保護するため、美術品を侯国へ移送し保管していたとのことです。
それから、66年後の2004年にやっと、再び「夏の離宮」での美術品の一般公開が再開されたということで、これまた歴史の流れを感じ、展示品を見る目が変わります。
で、この「倒れた水差しのある静物」は、「バロック・サロン」の入口近くに展示されていて、今回の展覧会でまず最初に魅力を感じた絵画です。
画像だといまいちなんですが、実物は水差しや果物の質感が素晴らしく、水差しの金属を表現する技術の高さに目を奪われます。
また、果物の瑞々しさも艶やかで、イチジクの粒粒が本当に1つ1つの粒に存在感があり、完成度の高さにしばらく動けなくなるほどです。
クリストファーノ・アッローリ
「ホロフェルネスの首をもつユディト」
ルーベンス
「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」


「ホロフェルネスの首をもつユディト」は、一瞬、サロメ?と思ったんですが、題名が全く関係ないので・・・ホロフェルネスって誰?というところから、始まりました。
後でホロフェルネスを検索したところ、旧約聖書の話の一説のようですね。
鑑賞時は内容が分からないままだったんですが、まず首をもつユディトの目と表情に集中しました。
何かこうあっさりした感じがあるんですが、恍惚とした(自分には荘見えるのです)目に惹きつけられてしまうのです。
ルーベンスの「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」も、活き活きとした表情が素晴らしいです。
このクララは、この肖像が描かれてから、12歳頃に亡くなってしまったようですが、この絵画からはクララへのルーベンスの愛情を感じずにはいられません。
絵画が描かれていた頃は、幸福に満ちていたのかなと想像します。
ピーテル・ブリューゲル2世
「ベツレヘムの人口調査」
この絵が描いているのは、1607年ごろのベツレヘムの様子だそうですが、左下に集まっている人たちや湖を歩く人たちの姿に、当時の風俗がよく描かれていて見ていて飽きません。
氷の上をソリみたいなもので滑っている人もいれば、喧嘩している人もいるし、火に集まって暖をとっている姿や鳥をさばくところなど、中世の生活感があふれてて、人々の生命力を感じます。
レンブラント
「キューピッドとしゃぼん玉」

レンブラントの「キューピッドとしゃぼん玉」・・・これも面白い絵画で、最初は可愛いキューピッドがしゃぼん玉をもってて、愛らしい絵だなと思いきや。
キューピッドは愛を表し、しゃぼん玉ははじけて消える儚さを。これを二つ合わせると、愛の儚さを表すなり。
絵の印象を裏切る題名に、こころ揺さぶられます。
マヂッスか?ってのが、まず思い浮かんだ感想です。(笑
フランチェスコ・アイエツ
「復讐の誓い」
フリードリヒ・フォン・アメリング
「夢に浸って」


女性を描いた絵を並べてみましたが、それぞれ特徴的な描かれ方で、こうして比べてみると目力の違いに驚きます。
左の「復讐の誓い」は、左の女性の目に題名そのままの憎しみを感じざるを得ません。
なかなかこういった負の感情をストレートに表現した絵を見たことが少ないので、印象深いです。
決意溢れる心が、あますところなく目に表現されてますね!
表情以外にも黒いレースの表現が巧みで、背景を透過しつつレースの存在をシッカリと描き出す技術に脱帽です。
それに対して、「夢に浸って」の目の表情・・・これもまた、目の前のものを映しておらず、想い描く心の世界に飛んでいる表情が、よく出ています。
ただ、こちらも空想とかそういう夢より、想い描く夢を実現していこうという静かな意思の力を秘めた表情のように見えますが、人によっては違った見え方がするかもしれません。
フリードリヒ・フォン・アメリング
「マリー・ルランツィスカ・リヒテンシュタイン
侯女2歳の肖像」
「豪華なジョッキ」

「マリー・ルランツィスカ・リヒテンシュタイン侯女2歳の肖像」は、展示も終わりの頃に鑑賞したものですが・・・この愛らしい表情にノックアウトです。
ホホと目の満ち足りた表情!・・・これが全てです。
他に言うべきことは、何もありません(笑
絵画以外にも多様な調度品が展示されてましたが、世界一高価な象牙の美術品の一つということで、「豪華なジョッキ」が異様な存在感を発してました。
象牙から彫りだしたものなんでしょうが、豪華だけど一種の異様な姿に全く触りたいという気が起こりませんでした。
何でだろう・・・少し気持ち悪かったかな?
「貴石象嵌のチェスト」

「貴石象嵌のチェスト」、これは物としての使い方はしないんでしょうが、1620年頃のものだそうでチェストの周囲に描かれた風景や人々の姿から、当時はこういう風景や生活が広がっていたんだろうなと想像を膨らませてくれる刺激に満ちていました。
さすがに現代の加工技術と比べると、全体としてモッサリした雰囲気を感じてしまいますが、描かれている絵の素朴さと色使いに落ち着いたアンティークの品の良さを感じます。
鑑賞時間は2時間つかったのですが、本当にあっという間の2時間で、じっくり見ることが出来ました。
入口付近は混んでますが、奥へ行けばさほどの混雑もなくスムーズに鑑賞することが出来ます。
展示方法にも工夫が凝らされているし、満足度の高い展覧会だとお勧めします。

メトロポリタン美術館展@東京都美術館 レビュー

メトロポリタン美術館展@東京都美術館へ行った記録です。
混み具合   辛 い/1・2・③・4・5/快適
作品の数   少ない/1・2・3・4・⑤/多い
面 白 さ つまらない/1・2・3・④・5/面白い

ゴッホの「糸杉」が初公開されるということで、楽しみにしつつ行ってきました。
また、メトロポリタン美術館にもいつか行ってみたいと思っていたので、今回はその予習と思って、期待に胸をふくらませながら鑑賞しました。

今回の印象深かった作品です。
東京都美術館
メダブスとカミラを描いた皿

「メダブスとカミラ」って、詳しい出所は分からないのですが、この色使いが鮮烈でとても印象に残っています。
陶芸で絵付けをしていると、こういう絵が描けるようになれればなぁというのと、この筆使いの緻密さに感動します。
陶芸だと、土が軟らかいので平面に土を延ばすのが難しいんですね。
ただ平たくしただけだと、単なるプレートになってしまうし・・・
でも、いずれは磁器にもチャレンジしてみたい。
ハイビスカスとオウムの窓
冬の寓意

「ハイビスカスとオウムの窓」は、ルイス・コンフォート・ティファニー(チャールズ・ルイス・ティファニーの息子)によるデザインです。
これもオウムの羽の表現が素晴らしい。
ガラス製なので、裏面から光でも当てればより色鮮やかに見えると思います。
これを部屋の装飾として、使える家は限られるでしょうが、絵画のように壁にかけてリビングにでも展示したい。
「冬の寓意」(ジャック・ド・ラ・ジュー)は、画像が小さいので分かりにくいと思いますが、実物は冬の冷気を感じられるくらい、題名どおりの季節感を表現した絵でした。
くすんだ太陽といい、中央の女性像の質感の冷たさといい、引き締まった雰囲気が見事です。
糸杉
音楽を奏でる男女の羊飼い

さて、今回のメインであるゴッホの「糸杉」です。
自分が見に行ったときは、何故かこの絵の前にほとんど人がいなかったので、じっくり見ることが出来てラッキーでした。
病気療養中に描いた7作あるシリーズの1つらしいです。
いつもの盛るかのような厚塗りの筆使い。
これが、樹木の上へ燃え立つかのような存在感と勢いを感じさせます。
糸杉の緑に対して、空の青さが対比色になってお互いを引き立てているように思います。
油絵ってこう塗り重ねることで、多層的な表現が出来るところが羨ましいし、魅力ですね。
「音楽を奏でる男女の羊飼い」は、羊毛と絹で織られた239×292cmもある大きなタペストリです。
今回の展覧会は、絵画以外にもタペストリや写真なども多くメトロポリタン美術館の多様な展示の一端を垣間見ることが出来ました。
南ネーデルラントは、今のベルギーに当たるらしいですが、この緻密なデザイン!!
完成度の高さが、ある種の品格を感じさせるほどです。
これだけ草花が描かれているのに、それぞれに存在感がありながら全体のバランスが壊れていないところに技術の高さを感じます。
また、タペストリということで、織られた糸が絵画とは違う立体感と色合いを表現しています。
ヴェネツィア・サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂
草取りをする人々

カナレットの「ヴェネツィア・サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂」とジェール・ブルトンの「草取りをする人々」です。
カナレットはカメラ・オブスキュラという初期のカメラを使用して、下書きを描いていたそうですが、このカチッ!とした遠近感に、写実性はカメラ・オブスキュラという「技術」による効果を想像するに十分です。
美術館へ行き始めた頃は写実的な絵画が好きで、現実を如何に写しとるかという絵の技術に感動していました。
正直、カメラのない時代に目に映る姿を形にする方法は、絵画が主なものだったことを考えると、カメラ・オブスキュラから始まるカメラの与えた影響は、とても大きかったはずです。
絵画の技術がどれだけ巧みでも、目に映る形を写し出す機能はカメラの方が優れているし、この段階から絵画に独自の表現を与えていくかという試行錯誤が必要になってきたのだと思います。
ジュール・ブルトンってよく知らないんですが、こういう田舎絵は田舎者の心にグッ!ときます(笑
特にこの夕焼けのあかりが、1日の終わりと働く姿の美しさを際立てます。
どうでもいいことですが、自分は朝焼けより、夕焼けが好きです。
マーセド川、ヨセミテ渓谷
日の出

最後はアルバート・アミスタットの「マーセド川、ヨセミテ渓谷」とクロード・ロランの「日の出」です。
アミスタットはアメリカの作家の作家で、1800年代のものになります。
この切り立った岩の感じに、しばし目を奪われました。
クロード・ロランの「日の出」と比べると、この絵の中の空気の違いが面白いですね。
「ヨセミテ渓谷」の澄んだ空気に対して、「日の出」の濃密さ
題材が違うし地域も違うので当たり前なんですが、絵画はどれだけ見ても奥が深くて、常にいろんな発見や感動するポイントがあって、美術鑑賞は止められないですね(笑。