浅草名所(などころ)七福神会様のサイトより |
浅草散策をかねて七福神巡りに行ってきました。
浅草七福神のコースは、上の通りです。
浅草七福神は七福神と言いながら、なぜか参拝するところが九社寺あります。
1.浅草寺(大黒天)
2.浅草神社(恵比寿、三社権現)
3.待乳山聖天(毘沙門天)
4.今戸神社(福禄寿)
5.橋場不動尊(布袋尊)
6.石浜神社(福禄神)
7.吉原神社(弁財天)
8.鷲神社(寿老人)
9.矢先神社(福禄寿)
福禄寿と寿老人がかぶってるんですね。
今回は、矢先神社(福禄寿)と浅草神社(恵比寿)を残して、すべてを回りきることはできませんでした。
吉原方面まで散策したので、8kmほどの散策になったのですが、6時間ほどかかってしまいました。
サラダ |
チーズトースト |
散策前にランチで、隅田川とスカイツリーの見えるCAFE MEURSAULTへ。 スカイツリーは正面のマンションが邪魔しており、天辺が見えるくらいで微妙でした(笑 ただ、隅田川沿いの景色は素晴らしくゆったりしたランチをするには、良いロケーションです。
ランチはブランチセットが基本で、サラダ・スープ・トースト・デザートが1セット1,400円からになってます。
トースト?腹が膨れんではないか!と思ったんですが、このトーストが付け合せのマヨネーズと合わせると、美味い!!
セットでデザートまで入れれば、十分なランチでした。
駒形堂 |
スカイツリー |
で、腹も膨れたところで雷門前から出発です。
今回は、10人ほどでの散策です。
まずは吾妻橋近くの駒形堂へ。
ここは浅草寺の本尊である観音像が上陸したという場所で、浅草観音戒殺碑があります。
浅草観音の上陸した聖地ということで、この近辺10町余りの川筋を殺生禁断の地に指定したことを記すものです。
また、江戸時代は隅田川から浅草寺へ向かう人は、ここから上陸して雷門へ向かった場所でもあり、交通の要衝であったことから、馬頭観音を祭った御堂を建てたということです。
広重の「駒形堂吾妻橋」では左端に駒形堂や、材木屋を示す材木や化粧品屋の目印であった旗が描かれ、当時の人であればあそこか!と分かるようになっていました。
そういう意味では、浮世絵は貴重な歴史資料にもなるんでしょうね。
スカイツリーの開業も近く、吾妻橋から綺麗に見ることが出来ました。
開業から1年後くらいに展望台に行ければ良いかなと思います。(笑
姥が池 |
待乳山聖天 |
吾妻橋から北上し、姥が池・待乳山聖天へ向かいます。
旅人を殺して金品を奪っていた母親が間違って娘を殺してしまい嘆きから身を投げた池らしく、真ん中には旅人を殺すのに使っていたことになっている石が置いてあります。
暗い話のある場所の割には公園になっていて、なかなか賑やかでだいぶ明るい雰囲気があります。
その近辺はかつて歌舞伎座があった猿若町で、広重「猿わか町よるの景」にも賑わう様子が描かれています。
その周辺を散策し、待乳山聖天へ。
ここは浅草七福神の毘沙門天が祭られています。
待乳山聖天 本殿 |
今戸神社 |
待乳山聖天のモチーフは、なかなかユニークで交差する二股の大根と巾着袋です。
二股の大根は、見た目のまま家族の和合、巾着袋は財産・商売繁盛ということです。
毎年、1月7日には大根祭りもあるそうで、一度は行ってみたいと思ってます。
待乳山を描いた浮世絵は、広重の「待乳山山谷堀夜景」に描かれています。
切絵図だと吉原の方に「日本堤」という記載があり、荒川の氾濫から江戸市中を守るため、徳川家康が待乳山を削って堤を作らせたと言われています。
日本堤は広重の「よし原日本堤」でその様子が描かれていますが、なかなか高い堤防だったように見えます。
待乳山は日本堤を建築するための土削りしたところらしく、かつてはもっと高い山だったのかもしれません。
また、山谷堀という船で新吉原へ向かう人が利用した場所で、吉原へ向かう客のための店が多数あったようです。
広重の浮世絵では、夜景に浮かぶ店の明かりが待乳山のふもとに描かれてます。
浅草の地は浅草寺があり、新吉原があり、歌舞伎座があり、大きな繁華街・・・今でいう新宿歌舞伎町か?などと想像してしまいます。
待乳山聖天を後に、次は今戸神社へ。
今戸神社は、浅草七福神の福禄寿が祭られています。
また、招き猫発祥の地ということになっているらしく、縁結びにご利益があると有名で、奉納されている絵馬には願望というか欲望がダイレクトで面白かった(笑
境内は広く休憩スペースもあって、開放感ある場所でした。
今戸神社 本殿 |
今戸神社 招き猫 |
橋場不動尊 |
石浜神社 |
今戸神社から先がちょっと距離がありまして、今戸神社から橋場不動院へ向かいます。
ここは浅草七福神の布袋尊が祭られており、火伏せの橋場不動尊として有名です。
写真のとおり、今戸神社とはうってかわったこじんまりとしながらも、静かに心落ち着く雰囲気があります。
個人的にはこういう場所の方が好きです。
このあたりはかつては今土焼きの窯があったそうで、広重も「墨田河橋場の渡かわら窯」で煙立つ窯の様子を描いてます。
その先は、南千住近くの石浜稲荷(真崎稲荷神社)です。
ここは、浅草七福神の寿老神が祭られています。
広重は、ここでは「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」で、かつて境内の中にあった茶店から隅田川を見た風景を描いてます。
広重に描かれている浮世絵では、景色のいい観光地という雰囲気です。
江戸っ子は舟遊びが好きだったと聞きますが、浮世絵でも舟遊びに興じる姿が見られます。
今も浅草からお台場へ向かう観光船に乗ると、橋の下をくぐりながら、普段とは違う東京の景色を見ることができて新鮮で心躍ります。
江戸時代の舟遊びはもっとゆったりしたものだったのではないかと想像しますが、屋形船じゃないですがゆったりした小船での舟遊びに興じる余裕が欲しい今日この頃です(笑
石浜神社 本殿 |
吉原神社 |
石浜神社の付近には平賀源内の墓があるんですが、今回はそこは素通りしてしまいました。
いずれ、見学に行ってみたいと思います。
石浜神社の次は吉原神社ということで吉原大門へ進み、何代目かになる見返り柳をチェック。
見返り柳のあたりで切絵図をみると、かつて新吉原の周囲にあったお歯黒どぶが今は道路になりつつも、江戸時代と道路の形といい町の形といい変わってないのがよく分かります。
お歯黒どぶは遊女の逃亡防止用のものだったようで、今はその跡は石垣がほんの少し残っている程度のようです。
さすがにソープランドの中をいろいろ散策するわけにもいかず、そそくさと通り抜けました。
吉原神社は、浅草七福神の弁財天を祭っています。
そもそもは、玄徳(よしとく)稲荷神社があった場所へ、新吉原の四方に祭られていた榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社が合祀されて出来た神社です。
新吉原の四方に稲荷が祭られていたのは、切絵図でも確認することが出来ます。
吉原という特殊なエリアを稲荷で守っていたのか、封印していたのか分かりませんが、江戸から現代にも通じるポイントを確認することが出来るのが、切絵図と現代地図を見比べる面白さです。
吉原神社の近くには、弁天池跡があり吉原観音像があります。
そこには僧侶姿の女性がありましたが、どうやら家田荘子さんが来られていたようです。
広重が描いた吉原の浮世絵は「廓中東雲」があり、場面的には吉原大門を入ってすぐの江戸町二丁目ではないかと言われています。
明け方を描いたものと言われていますが、冬の静けさに満ちた絵です。
他には「浅草田甫酉の町詣」で、吉原の遊郭の部屋から次に向かう鷲神社の方向を描いています。
鷲神社といえば酉の市の熊手が有名ですが、江戸時代のころから賑わっていたようで、浮世絵の中にも熊手をかついている人がいて、遊女の部屋の簪も熊手の形に描かれることで、酉の市に参拝に行った後というのが分かります。
こういうポイントを読んでいくと、現地での想像が膨らみますね。
鷲神社 |
熊手 |
ということで、お次は鷲神社・・・酉の市の熊手で、有名な神社で、浅草七福神の寿老人が祭られています。
本殿には「なでおかめ」というおかめが置いてあり、なでる場所によってご利益が違うことになっています。
かなりの「なでられ」をこなしてきたらしく、所々が黒ずんでまして、特に向かって右側が黒くなってました。
向かって右側は恋愛成就だそうで、今戸神社に引き続き恋愛系が人気ですね。
今年の酉の市は、11月8日と11月20日にあるようで、こちらも一度は行ってみたいものです。
ゴトー ホットケーキ |
浅草寺 |
さすがに疲れたのでティータイムに入りましたが、目当ての店は閉店時間が近かったため、残念ながら近くのフルーツパーラーゴトーへ。
ここはフルーツパーラーなのに、ホットケーキが美味いというので選びました。
他の方がフルーツパフェを食べる中、迷うことなくホットケーキを選択!
出てきたホットケーキは、なかなかの厚みで中身のモチモチとした食感は最高でした。
二枚も重なるとお腹にズッシリきましたが、食べ応えバッチリで満足です。
フルーツも美味しそうで、当たりの店だと思います。
夜の浅草寺も仲見世のほのかな明かりが美しく、最後に広重の「金龍山浅草寺」を鑑賞して、今回の散策は終わりとなりました。
ん~、13:30から始まって終わりが18:00ごろ・・・距離はさほどじゃないけど、やっぱりそれなりに時間がかかる。
次に散策する事があれば、あまり詰め込まないよう調整しようと思います。
次は谷根千かな・・・
<参考図書>
広重の大江戸名所百景散歩
もち歩き 江戸東京散歩(切絵図・現代図で歩く)