読書メモ 中世の高利貸・・・煉獄が金貸しを救う?
キリスト教の価値観が社会に浸透した13世紀・・・高利貸はいわく『時間盗人』として批判されてきた。
昼夜(時間)を問わず、金を働かせ利子をとる・・・神の領域にある時間を盗むに等しい『時間盗人』であると。
筆者は、教会から辛辣な言葉で批判される高利貸が資本主義の草分けであり、13世紀の社会と経済を資本主義へと前進させたと指摘する。
教会は『時間盗人』たる高利貸は、全財産を喜捨し悔い改めなければ行き先は『地獄』である。
本の副題のとおり、『金か命か?(天国での救済)』と悔悛と財産の放棄を要求した。
当時、高利貸のような合理的思考にいきる者たちでも無宗教者は少数派で、『地獄』への恐怖は切実なものだった。
『地獄』への恐怖はぬぐいがたく、しかし、金を失うことにも耐えられない・・・そんな高利貸たちに希望を与えたもの。
それが、『煉獄』だった。
『煉獄』は罪を犯した者が地獄へいくほどではないが、すぐに天国に行けるわけでもないため、苦しみによって『浄化』されながら最後の審判を待つ場所とされる。
そう煉獄は罪を『浄化』される場所であり、煉獄の出口は『天国』なのである。
それぞれの罪によって、煉獄につながれる『時間』は違う・・・その『時間』は本人の教会への寄進や親族が本人に代わって寄進することでも時間は『短縮』される。
本人や親族の教会への貢献で、『天国』はより近くなる・・・ここに高利貸に『金も命も』という道が開けるのである。
高利貸というと『ユダヤ人』というイメージがあるが、教会の批判の対象となる高利貸はユダヤ人ではなく、同じ『キリスト教徒』の高利貸だったようだ。
ユダヤ人は、13世紀頃にも色濃く残っていた反ユダヤ主義で差別されていたことに変わりないが、キリスト教の価値観を共有していないので、『天国』の問題には関わらなかったというのが興味深かった。
反ユダヤ主義→ 職業差別(ユダヤ人は生産的な仕事につくことを禁止されていたため、高利貸など金融業に従事)→ キリスト教上での高利貸批判とも絡み、さらに反ユダヤ主義へ繋がっていたのかもしれない。
『煉獄』の概念がどうやって出てきたのか?は、本書ではあまり説明されておらず消化不良な点はあるが、当時の人にとって死後の問題がどれだけ大きな課題で、自分たちを正当化し救いの道をつくりだすことに必死になるかが印象に残った。
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