読書メモ 『暴力はどこからきたか?』・・・猿としての人間が家族をつくる
人間は戦争をはじめ、いまだに克服しがたい暴力性・攻撃性をもった猿である。
人間の暴力性を説明するものとして、『本能』という言葉が使われる。
人間にも『本能』はあるが、本能が戦争を導き出すのだろうか?
筆者は霊長類(日本猿、ゴリラ、チンパンジー、ボノボなど)の群れ・家族の形成、攻撃特性を観察していく中で、人間の暴力性はかならずしも『本能』に直結したものではないと論じていく。
霊長類は何かしらの群れをつくって生活しているが、群れにも父系・母系の系列があり群れから単独へ、群れから群れへ個体が移動する法則が観察される。
一つのパターンとしては、単独行動するオスが他の群れのオスを追いやりハーレムのボスとなる場合。
一つのパターンとしては、ハーレム内のメスが何かの理由で他のハーレムへ移動していく場合。
どの場合でも、共通することは近親交配の回避である。
ある群れでは、オスが子育てから参加することで娘(子)との交配が起こらなくなる。
ある群れでは、オスの娘が他の群れへ移動することでオス(親)との交配が起こらなくなる。
ハーレムのボスの入れ替わりには子殺しがおこるが、オスとメスのペア化する種ではオスの子殺しが起こらない事例もある。
動物における暴力は『食』と『性』の問題を解決するため、あるパターンによって管理されている。
では、人間はどのように『食』と『性』の問題を解決しようとしてきたか?
どうやって、子殺しや近親交配を解決していったか?
樹上生活する猿から、サバンナで生活する人類へと変化していく中で、人間も群れをつくっていく。
そこに、『家族』が形成される要因がある。
ペア化した動物は、子殺しをおこさない → 夫婦というペア化
オスは子と親密な関係性をつくることで、子は近親交配の対象とならなくなる → 家族による子育て
家族の親密性は、いかにして作られていくか? → 『食』を分配し共有することで
猿は頬袋へ『食』を独り占めしようとするが、人間は積極的に『食』を分配し、食事を共有することで関係性を作っていこうとする。
『食』の分配が家族をつくり、家族同士の連携が社会・・・国家へと集団化していく。
人間の暴力性は、家族が国家へ集団化することでよりあらわになるようになった。
家族を守るため、人間は時には暴力を行うこともある・・・権力者によって集団となった群れを国家を家族とみなすよう誘導されることで、国家同士の暴力(戦争)という形へ進んでいった。
上記のことを フィールドワーク上の観察結果を豊富に消化しながら書かれている。
しかし、人間の『暴力』については最終章で軽く触れられている程度で、ほぼ霊長類の観察事例の紹介にほとんどの紙面が費やされている。
そのため、『暴力』の本質について論じられる根拠は弱く、やや議論が消化不良に感じることは否めない。
ある意味、人間も猿であり、他の霊長類と同じく巧みに近親交配を避ける方法が人生に組み込まれ、群れを維持する方法が作りこまれている中で生きていることを、よく説明した本と言える。
夫婦というペアを作ること、食事を共にするということが、どれだけ人間の『生』に直結し影響を与えているか・・・改めて家族というものを考えさせられた。
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