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千寿(千住)七福神めぐり(記録)@江戸名所百景(広重)と切絵図とともに

Art倶楽部(美術館巡り)のイベントで、千寿(千住)七福神めぐりへ行きました。


 ここ毎年、都内の七福神めぐりをしていますが、今回は北千住を目的地としてみました。
千寿七福神めぐりは、比較的新しい七福神めぐりコースのようです。
 足立区観光協会サイト等によると、千住の町おこしを願って近隣の神社・寺院に七福神の石像を安置して始められたようです。
 2008年頃にすべての神社等に石像が安置されたようですから、江戸時代から続く~とか特別な由来があるようではないですが、七福神めぐりは七福神めぐりということで、気にせず回りましょう。

七福神めぐりコースの概要 徒歩/約3時間ほど
千住氷川神社(大黒天)足立区千住3-22
大川町氷川神社(布袋尊)足立区千住大川町12-3
元宿神社(寿老人)足立区千住元町33-4
千住神社(恵比寿)足立区千住宮元町24-1
八幡神社(毘沙門天)足立区千住宮元町3-8
河原町稲荷神社(福禄寿)足立区千住河原町10-13
仲町氷川神社(弁財天)足立区千住48-2




ルートマップ
 今回の散策では、風はそれなりに冷たく寒さは厳しかったですが天気は良く、コンパクトにまとまったコースのため、気楽に七福神を巡ることができました。
 また、町おこしイベントが出発点なためか、各七福神ポイントには町会の方が休憩所や飲み物などを用意されていて、他の七福神めぐりとはサービスが違っていました!
 千住氷川神社では、ラーメンや甘酒、日本酒などが格安(1杯200円~)で提供されていて、他のポイントでも無料で暖かいお茶をいただくことができて、辛い寒さも和らげてもらいました。
 七福神めぐりのコースをまわる歩行者も少なく、混雑することなく各ポイントを巡ることができました。
 他の七福神めぐりでは、特に正月は季節がらすごい人出になり、日本橋七福神巡りの時など、本殿へお参りするのに30分以上、並ばないといけないポイントもあったことから比べると、スイスイ回ることができたので、ストレスフリーな散策でした。

 千住の町を歩いたのは、実は今回が初めてでもっと猥雑なイメージを抱いていたのですが、駅前はそれなりに整っており、町中も落ち着いた住宅街でした。
 あちらこちらに下町の風情があり、特に銭湯が駅10分の範囲内に5~6軒はあるという銭湯の密集エリアでもありました。
 また、その銭湯が都内でたまにある上層階がマンションなどになっているビル建ての無機質な建物から一線を画する昔ながらの破風屋根を維持している建物が多く、立派な外観をしていました。
大黒湯
銭湯/大黒湯 東京都足立区千住寿町32−6

 中には『タカラ湯』のように日本庭園のある銭湯もあるようで、今回は正月3ヶ日で銭湯が休みだったため、入浴できなかったのですが、別の機会に北千住近隣の銭湯を巡ってみたいと思っています。

七福神めぐり色紙(完成版)


千住本氷川神社(大黒天)

千住本氷川神社(大黒天)

大川町氷川神社(布袋尊)

大川町氷川神社(布袋尊)

元宿神社(寿老人)

元宿神社(寿老人)

千住神社(恵比寿天)

千住神社(恵比寿天)回転します

八幡神社(毘沙門天)

八幡神社(毘沙門天)

河原町稲荷神社(福禄寿)

河原町稲荷神社(福禄寿) 

仲町氷川神社(弁財天)

仲町氷川神社(弁財天)

各ポイントを巡った感想としては、神社・寺院としては規模の小さめなところが多かったと思います。
昔ながらの地域密着型の神社等で、土地に根付いた一体感を感じました。
建物の維持するためには仕方ないところあるのかもしれませんが、都内の神社等でたまにコンクリート造の建物をみると、ガッカリしてしまいます。
その点、北千住あたりの神社等は適度なボロさがあり、落ち着きました(笑
氷川神社が多く建立されていて、町会にそれぞれ建立したような感があります。
関東近辺は氷川神社の数が多く、信仰が厚かったことが感じられますね。

新年らしい散策で、すがすがしい気持ちで1日を過ごすことができました。
今年は、七福神めぐり以外にも散策を大目にやっていきたいと思っています。
次は建築巡りか、海側の散策コースでも行ってみたいですね。




<参考図書>
広重の大江戸名所百景散歩


もち歩き 江戸東京散歩(切絵図・現代図で歩く)

日本橋 七福神めぐり@散策② 江戸名所百景(広重)と切絵図とともに

 日本橋 七福神めぐり@散策①に続いて、正月に実際に七福神を巡った記録になります。


 毎年、正月(1/4)に日本橋三越本店をスタート・ゴールにした七福神めぐりイベントがあるということで、2014年に参加したものです。
 初めに日本橋三越で、スタンプ帳をもらって通過ポイントでスタンプをもらうと、記念品がもらえるという1日限定の企画!
 新年早々、記念品をもらうぞ!という年末の除夜の鐘をついても滅しきれなかった煩悩のまま、日本橋三越から七福神めぐりがスタートです。


 日本橋七福神の巡回ポイントは、以下の7社。
1.小網神社(福禄寿・弁財天)
  中央区日本橋小網町16-23
2.茶ノ木神社(布袋尊)
  中央区日本橋人形町1-12-10
3.水天宮(弁財天)
  中央区日本橋蛎殻町2-4-1(建替え中)
  中央区日本橋浜町2-30-3(仮宮2016年迄)
4.松島神社/大鳥神社(大黒天)
  中央区日本橋人形町2-15-2
5.末廣神社(毘沙門天)
  中央区日本橋人形町2-25-20
6.笠間稲荷神社(寿老神)
  中央区日本橋浜町2-11-6
7.椙森神社(恵比寿神)
  中央区日本橋堀留町1-10-2
8.賓田恵比寿神社(恵比寿神)
  中央区日本橋本町3-10




小網神社(福禄寿・弁財天)
小網神社(銭洗い弁天)
 小網神社は厄除けで有名な神社ですが、正月はいつも大行列ができています。
 今回は七福神めぐりも合わさり、参拝には1時間以上かかりそうだったので、参拝はスルーしました。
普通の日に行けば、人もまばらで気軽に参拝できるんですが、正月の人出はかなりのものです。
 まぁ、小坊主の目的は厄除けより、こちらの銭洗い弁天で昨年に引き続き、銭を洗いまくることなのですが・・・
 前あった場所に、銭洗い弁天がないぞ!と思ったら、場所が移動した上に銭洗い井戸が新築されていました。
 なんということでしょう、このビフォーアフターでのご利益の薄れた感じは。
 前は少し薄暗いながらも、霊気ある雰囲気があったのに、新築後はとてもチープな感じになりました。
 神社サイドは、何を考えているんだー!と、強く意見申し上げたい気持ちにかられたんですが、せっかくなので、急いで洗いましたよ。
 普通の水道水で洗ってる雰囲気で、楽しくなかったんですが・・・残念。
 また、落ち着いたときに、ジャブジャブと銭を洗ってこようと思っています。

茶ノ木神社(布袋尊)

水天宮(弁財天)仮宮
 水天宮の仮宮ですが、仮宮の割には随分と立派で、結構、お金かけたのかしらんと心配になってしまいました(余計なお世話です)
 前の移転前もコンクリート造の敷地で、あまり趣もなかったので、水天宮らしいといえばらしいのかもしれません(笑
 こちらも、かなりの行列で始めから並ぶことを放棄している小坊主は、こちらも参拝をスルー。

松島神社(大黒天)

末廣神社(毘沙門天)

笠間稲荷神社(寿老神)

椙森神社(恵比寿神)

賓田恵比寿神社(恵比寿神)



 なんだかんだありながらも、無事に各神社(七福神)をめぐり、景品をゲットです。
 景品は三越以外にも、山本海苔の山本山でも七福神めぐりのスタンプを見せると、景品がもらえます。
 数量限定ということで、なくなる前にゲットだ!と七福神めぐりが終わるなり、速攻で景品を受取りにいきました。
 山本山では毎年、干支小皿を景品としているようで、京都の老舗らしい「たち吉」の絵皿でした。
 毎年、行く気にならないので、次は自分の干支の年に小皿をもらいに行こうと思います。
 10年後のことに、なりそうですが(笑
 三越の景品は、干支の手拭いです。
 新年らしい明るさを満喫できるイベントですので、自分の干支にあたる年には、小皿をもらいに参加してみてはいかがでしょうか。

 東京の七福神めぐりも、ネタが尽きないわけですが、これで浅草七福神・亀戸七福神・池上七福神・谷中七福神・港(麻布)七福神をクリアしてきました。
 今回の日本橋七福神を加えても、東京にはまだまだ七福神めぐりコースがありますので、機会をみつけてはコツコツめぐって、東京中の福を浴びて行きたいと思います(笑



日本橋 七福神めぐり@散策① 江戸名所百景(広重)と切絵図とともに

 日本橋にも七福神コースがあり、コンパクトにまわれるということで、行ってきました七福神めぐり!


 まずは事前にコースチェックだ!ということで、google先生の力をかりて、ルート作成をしてみました。(水天宮が建替え工事のため、仮宮へ移転しており、こちらのマップとは場所が異なっています。2016年まで仮宮での運営予定)
 仮宮の最寄り駅は、浜松町駅になるので、ご注意ください(七福神めぐりのコースで、十分、歩いて行けるので、水天宮や日本橋から歩いて行っても問題ないと思いますが)

 日本橋七福神の巡回ポイントは、以下の7社。
1.小網神社(福禄寿・弁財天)
  中央区日本橋小網町16-23
2.茶ノ木神社(布袋尊)
  中央区日本橋人形町1-12-10
3.水天宮(弁財天)
  中央区日本橋蛎殻町2-4-1(建替え中)
  中央区日本橋浜町2-30-3(仮宮2016年迄)
4.松島神社/大鳥神社(大黒天)
  中央区日本橋人形町2-15-2
5.末廣神社(毘沙門天)
  中央区日本橋人形町2-25-20
6.笠間稲荷神社(寿老神)
  中央区日本橋浜町2-11-6
7.椙森神社(恵比寿神)
  中央区日本橋堀留町1-10-2
8.賓田恵比寿神社(恵比寿神)
  中央区日本橋本町3-10
 距離としては、徒歩で2~3時間で回れると思います。コンパクトにまとまっている方じゃないでしょうか。




 せっかくなので、江戸時代の絵地図とも比べてみましょう。縮尺が違うので、分かりにくいところもあるのですが、日本橋といえば、「越後屋」⇒三井家⇒三越ということで、江戸時代の絵地図にもしっかりと越後屋が載っています(画像だと分かりにくいですが)
 絵地図で面白いのは江戸時代は水路も多く、現在では埋め立てられていたり、道路下になっているところも多くあるようですが、通りのラインを比べていくと、だいたいの位置が分かるので、かつての建物がどのあたりにあったかなどが、イメージしやすいところですね。
 関東大震災や空襲で燃えたり、失われたものも多いところ、江戸時代と変わらぬまま維持されているところも沢山あるのが、東京の魅力の一つだと感じます。
 かつての江戸の風景といえば、歌川広重の「江戸名所百景」ということで、画像のA~Eは地図からなんとなく把握した「江戸名所百景」での浮世絵が描かれているポイントを入れてみました。
A:する賀てふ
A:する賀てふ(するがちょう)です。
 日本橋の南北の長屋は、江戸城と富士山が見えるよう計画の上、建築されていました。
 駿河町は、南西の方向に真正面に”駿河”の富士山が見られたことから、駿河町と名付けられ、駿河町の両側全域を呉服店越後屋が占めていました。
 越後屋は三井家がおこした店ですので、店の壁?にも三井のマークがしっかり描かれています。
B:日本橋江戸ばし
B:日本橋江戸ばし
 日本橋の上からの景色を描いたものです。
 絵の左には橋の欄干に擬宝珠が描かれていますが、擬宝珠を描くことで橋の格式が高いことを表現しています。
 江戸城の御門前の端には擬宝珠がついていたそうですが、町家で擬宝珠がついていた橋は”日本橋”と”京橋”に”新橋”の3つしかありませんでした。
 絵の右下に鰹が描かれていますが、日本橋の北岸には魚河岸があったので、ちょうど鰹を売りに端を渡っているところを描いているものです。
 真ん中に白い壁の蔵が並んでいるところは、小網一丁目で船積問屋や小網三丁目の行徳河岸、本所深川の小名木川を通って行徳への定期船が出ていたところです。
C:日本橋雪晴
C:日本橋雪晴
 日本橋は、海から登る朝日をじかに見られたことから、日本橋と名付けられたとも言うそうです。
 橋下に多数の船が描かれていますが、日本橋は日本全国の産物が船で運び込まれる港であり、市場・問屋・倉庫街だったためです。また、右上に描かれているのは江戸城です。
D:鎧の渡し小網町
D:鎧の渡し小網町
 小網町の辺りは埋め立てされる前、前島という海浜でした。
 八幡太郎義家という人が、ここから下総国へ海を渡ろうとして船をこぎだしたところ、暴風で船が転覆しそうになりました。
そこで、鎧を海になげいれ龍神に祈ったところ、海を無事に渡れたという話をもとに、小網町と茅場町つなぐ渡しを「鎧の渡し」と呼ぶようになりました。
 絵地図にも、鎧の渡しと書かれています。
 海を渡った義家は無事に戦に勝利し、戦勝のお礼に兜を埋めたところが兜塚とよばれ、茅場町の松平泉守の屋敷内に兜塚がありました。兜町という名称は、この兜塚からきているものです。
 小網町の辺りは、船積問屋が並んでいたというところで、蔵が終わりの見えないところまで並んでいます。
 日本橋は江戸の中心として栄えたところ、蔵の並びからも繁栄ぶりが想像できます。
E:大てんま町木綿店
E:大てんま町木綿店
 大てんま町は、かつてはここに奥州街道の宿駅があり、多くの伝馬が用意されていたことから、大てんま町と名付けられました。
 ですが、千住大橋が隅田川にかかり、奥州街道の宿駅が千住へ移ったことから、伝馬町から姿をかえて木綿店がつらなる通りへと姿を変えていきました。
 大伝馬町は、天下祭りの山王祭や神田明神祭に一番山車を出していたということで、とても栄えた町だったようです。
 描かれている店も黒塗りのシッカリした店構えで、老舗感をこれでもか!と出してきてますね。
F:大伝馬町ごふく店
F:大伝馬呉服町
 Dと同じく大伝馬町の木綿店を描いたものです。
 絵に描かれている大に丸は大丸屋のことで、あの大丸です。
 もともとは京都の呉服屋だったものが江戸に進出し、越後屋と同じ”現金掛け値なし”商売で成功した店です。
 左上の看板にも、大丸屋の文字とともに現金掛け値なしの文字があり、当時の人には一目であそこだ!と分かったのでしょう。
 絵の右側に派手な一行が描かれているので、何かの祭りかと思いますが、先頭は大工の棟梁で後に鳶職の頭に屋根職人などが続いていて、建物の上棟式を終えて帰るところを描いたものです。
 行事や縁起物を大事にしていたのだと思いますが、なかなか派手な出で立ちで、ぱっと見で大工には全く見えません。
 玄人になれば、手に持っているいろいろなモノを解読して、描かれているのが何なのか分かるんでしょうが、小坊主にはさっぱり分かりませんでした。

 絵地図に合わせて、当時の江戸の風景を見ていくと、ただ通りを歩いているだけなのに、当時の活き活きした江戸の町並みや生活感が伝わってきて、ワクワクします。
 七福神めぐりも、江戸時代から新年の庶民の初詣をかねた新春イベントだったといいますし、かつての江戸庶民にならって、七福神めぐりで福をもらいに七福神めぐり@散策②へ続きます。




<参考図書>
広重の大江戸名所百景散歩


もち歩き 江戸東京散歩(切絵図・現代図で歩く)

円朝祭りに寄り道しつつ『谷中七福神』を巡る@江戸名所百景(広重)と切絵図とともに


より大きな地図で 谷中 名所 を表示
 Art倶楽部にて、円朝祭りの見学と『谷中七福神』を巡ってきました。


 上が今回の散策の基となる予定ポイントマップ。
「台東ぶらり散歩 七福神めぐり」より
 谷中七福神は、以下の七社寺です。
1.東覚寺(福禄寿)
2.青雲寺(恵比寿)
3.修性院(布袋尊)
4.長安寺(寿老人)
5.天王寺(毘沙門天)
6.護国院(大黒天)
7.不忍池弁天堂(弁財天)





 今回は35度にも迫る猛暑の中、約8kmを4時間で散策しました。
 七福神自体は正直、全て回ることが出来ませんでした。
 青雲寺~修性寺~長安寺~護国院~弁天堂の5箇所をめぐり、田端の東覚寺と日暮里の天王寺には行けなかったのが残念です。
 やっぱり全てを回ろうとすると、午前中から行かないとダメですね(笑
 とりあえず、今回は3つのポイントで広重の江戸名所百景を確認しつつ散策しました。
 予定ポイントマップに、カメラマークがそのポイントです。カメラマークから、名所百景を参照できますので、興味ある方はご参照ください。
 今回、確認した江戸名所百景は、諏訪神社~青雲寺~団子坂です。(上野公園内のものは、別の機会に確認することにして、今回はパスしました。)
日暮里諏訪の台
日暮里寺院の林泉
千駄木団子坂花屋敷
 「日暮里諏訪の台」は、諏訪神社から見た当時の風景を描いており、日暮里がかつて景勝地として有名な観光地だったことを思わせます。
 今はその雰囲気は全く感じられないけど、本来は諏訪神社の方からJR線の走っている方面を向けば、見渡す限りの田園と諏訪の台と言われるの高台から、筑波山や日光なども見ることが出来たらしいです。
 「日暮里寺院の林泉」青雲寺の境内を描いているそうですが、当時は日暮里エリアの寺院は花見寺や雪見寺といわれるなど、花樹や景色が売りで競って寺院内に林泉を造っていたようです。
 「日暮里諏訪の台」の桜に続き、この絵にも枝垂れ桜が描かれていて、上野の寛永寺から続く花の彩のとても豊かなエリアだったと想像できます。
 日暮里自体が新堀(にいぼり)から、「日ぐらしの里」というように「謂れ」が変わっていったほどに、江戸時代の人はここで夕暮れ時になるまで景色を楽しんでいたというので、よほど見ごたえのある景色が広がっていたのでしょうね。
 谷中の七福神巡りも、江戸の中では最古ともいわれる歴史の古い七福神ということで、正月の行事として定着していたようです。
 「千駄木団子坂花屋敷」は、ちょうど今の千駄木駅そばの団子坂下交差点あたりの風景を描いたもののようです。
 この辺りは、高台のためかいろんな坂があったようで、諏訪神社の近くには富士見坂があり、団子坂上から根津神社方面に下る坂には汐見坂というのもあります。
 どちらも坂上から富士山が見えたり、海が見えたということで名づけられたようですが、今のビル郡からはその面影は感じられないのが残念です。
 当時は江戸城以外に高層建築などなかったので、あの程度の高台からでも十分に見渡せたのでしょうね。
 今の自分たちは、スカイツリーのように無理やり高いところに登らないと、とても遠くを見渡すことなんて出来ません(笑
円朝祭り
夏目漱石邸跡
みかどパン
旧安田庭園

 当初の目的どおり、「円朝祭り」にも行ってきました。以前は全生庵だったのが参加者も増えてきて、安全のため開催場所が変わっていました。
 開催場所が変わって、初の円朝祭りだったようですがなかなかの人出で賑わってました。
 落語好きな人には、噺家の師匠方と触れ合える楽しいイベントです。
 残念ながら自分はそこまで詳しくないので、「ひみつ堂」食べられなかったかき氷を、円朝まつりの屋台で食べさせてもらい一服いたしました。
 「ひみつ堂」は前から行ってみたかったので、今回、行ってみようと張り切ってたのですが・・・
 行列が出来るどころか15:00頃の段階で19時まで予約がある!なんて、驚きの余りあっさり諦めました(笑
 カキ氷に予約が必要で、しかも食べられるのが夜中ってどういうことでしょうか・・・いや~、そこまで美味いんだろうか・・・
 試してみたい人の心に付入る悪徳カキ氷屋め!
 などと負け惜しみを呟きつつ、先へ進みました。 
 円朝まつりの会場でなくなった全生庵は、かつての人出が嘘のような静けさで、落差の大きさに驚きです。
 境内に良い風が吹いていて、とても心地よかったです。
 「みかどパン」は名前は知っていましたが、見るのは初めて・・・渋すぎる雰囲気にノックアウトです(笑
 この溢れんばかりのB級なオーラに、ひれ伏さざるを得ません
 その側のヒマラヤスギも立派です。
 正直、みかどパンの店内に入る勇気はなかったので、写真を撮って満足です。
 そんなこんなで、猛暑の中なんとか不忍池弁天堂までたどり着き、今回の散策を無事に終えることが出来ました。
 次は、上野周辺で湯島天神に旧岩崎邸庭園、寛永寺関連を回ろうかと思います。
 狭いエリアですが、湯島天神や寛永寺に関する広重の江戸名所百景もあるようなので、また、浮世絵を見つつ散策してみたいと思います。




<参考図書>
広重の大江戸名所百景散歩


もち歩き 江戸東京散歩(切絵図・現代図で歩く)