日本橋 七福神めぐり@散策② 江戸名所百景(広重)と切絵図とともに

 日本橋 七福神めぐり@散策①に続いて、正月に実際に七福神を巡った記録になります。


 毎年、正月(1/4)に日本橋三越本店をスタート・ゴールにした七福神めぐりイベントがあるということで、2014年に参加したものです。
 初めに日本橋三越で、スタンプ帳をもらって通過ポイントでスタンプをもらうと、記念品がもらえるという1日限定の企画!
 新年早々、記念品をもらうぞ!という年末の除夜の鐘をついても滅しきれなかった煩悩のまま、日本橋三越から七福神めぐりがスタートです。


 日本橋七福神の巡回ポイントは、以下の7社。
1.小網神社(福禄寿・弁財天)
  中央区日本橋小網町16-23
2.茶ノ木神社(布袋尊)
  中央区日本橋人形町1-12-10
3.水天宮(弁財天)
  中央区日本橋蛎殻町2-4-1(建替え中)
  中央区日本橋浜町2-30-3(仮宮2016年迄)
4.松島神社/大鳥神社(大黒天)
  中央区日本橋人形町2-15-2
5.末廣神社(毘沙門天)
  中央区日本橋人形町2-25-20
6.笠間稲荷神社(寿老神)
  中央区日本橋浜町2-11-6
7.椙森神社(恵比寿神)
  中央区日本橋堀留町1-10-2
8.賓田恵比寿神社(恵比寿神)
  中央区日本橋本町3-10




小網神社(福禄寿・弁財天)
小網神社(銭洗い弁天)
 小網神社は厄除けで有名な神社ですが、正月はいつも大行列ができています。
 今回は七福神めぐりも合わさり、参拝には1時間以上かかりそうだったので、参拝はスルーしました。
普通の日に行けば、人もまばらで気軽に参拝できるんですが、正月の人出はかなりのものです。
 まぁ、小坊主の目的は厄除けより、こちらの銭洗い弁天で昨年に引き続き、銭を洗いまくることなのですが・・・
 前あった場所に、銭洗い弁天がないぞ!と思ったら、場所が移動した上に銭洗い井戸が新築されていました。
 なんということでしょう、このビフォーアフターでのご利益の薄れた感じは。
 前は少し薄暗いながらも、霊気ある雰囲気があったのに、新築後はとてもチープな感じになりました。
 神社サイドは、何を考えているんだー!と、強く意見申し上げたい気持ちにかられたんですが、せっかくなので、急いで洗いましたよ。
 普通の水道水で洗ってる雰囲気で、楽しくなかったんですが・・・残念。
 また、落ち着いたときに、ジャブジャブと銭を洗ってこようと思っています。

茶ノ木神社(布袋尊)

水天宮(弁財天)仮宮
 水天宮の仮宮ですが、仮宮の割には随分と立派で、結構、お金かけたのかしらんと心配になってしまいました(余計なお世話です)
 前の移転前もコンクリート造の敷地で、あまり趣もなかったので、水天宮らしいといえばらしいのかもしれません(笑
 こちらも、かなりの行列で始めから並ぶことを放棄している小坊主は、こちらも参拝をスルー。

松島神社(大黒天)

末廣神社(毘沙門天)

笠間稲荷神社(寿老神)

椙森神社(恵比寿神)

賓田恵比寿神社(恵比寿神)



 なんだかんだありながらも、無事に各神社(七福神)をめぐり、景品をゲットです。
 景品は三越以外にも、山本海苔の山本山でも七福神めぐりのスタンプを見せると、景品がもらえます。
 数量限定ということで、なくなる前にゲットだ!と七福神めぐりが終わるなり、速攻で景品を受取りにいきました。
 山本山では毎年、干支小皿を景品としているようで、京都の老舗らしい「たち吉」の絵皿でした。
 毎年、行く気にならないので、次は自分の干支の年に小皿をもらいに行こうと思います。
 10年後のことに、なりそうですが(笑
 三越の景品は、干支の手拭いです。
 新年らしい明るさを満喫できるイベントですので、自分の干支にあたる年には、小皿をもらいに参加してみてはいかがでしょうか。

 東京の七福神めぐりも、ネタが尽きないわけですが、これで浅草七福神・亀戸七福神・池上七福神・谷中七福神・港(麻布)七福神をクリアしてきました。
 今回の日本橋七福神を加えても、東京にはまだまだ七福神めぐりコースがありますので、機会をみつけてはコツコツめぐって、東京中の福を浴びて行きたいと思います(笑



日本橋 七福神めぐり@散策① 江戸名所百景(広重)と切絵図とともに

 日本橋にも七福神コースがあり、コンパクトにまわれるということで、行ってきました七福神めぐり!


 まずは事前にコースチェックだ!ということで、google先生の力をかりて、ルート作成をしてみました。(水天宮が建替え工事のため、仮宮へ移転しており、こちらのマップとは場所が異なっています。2016年まで仮宮での運営予定)
 仮宮の最寄り駅は、浜松町駅になるので、ご注意ください(七福神めぐりのコースで、十分、歩いて行けるので、水天宮や日本橋から歩いて行っても問題ないと思いますが)

 日本橋七福神の巡回ポイントは、以下の7社。
1.小網神社(福禄寿・弁財天)
  中央区日本橋小網町16-23
2.茶ノ木神社(布袋尊)
  中央区日本橋人形町1-12-10
3.水天宮(弁財天)
  中央区日本橋蛎殻町2-4-1(建替え中)
  中央区日本橋浜町2-30-3(仮宮2016年迄)
4.松島神社/大鳥神社(大黒天)
  中央区日本橋人形町2-15-2
5.末廣神社(毘沙門天)
  中央区日本橋人形町2-25-20
6.笠間稲荷神社(寿老神)
  中央区日本橋浜町2-11-6
7.椙森神社(恵比寿神)
  中央区日本橋堀留町1-10-2
8.賓田恵比寿神社(恵比寿神)
  中央区日本橋本町3-10
 距離としては、徒歩で2~3時間で回れると思います。コンパクトにまとまっている方じゃないでしょうか。




 せっかくなので、江戸時代の絵地図とも比べてみましょう。縮尺が違うので、分かりにくいところもあるのですが、日本橋といえば、「越後屋」⇒三井家⇒三越ということで、江戸時代の絵地図にもしっかりと越後屋が載っています(画像だと分かりにくいですが)
 絵地図で面白いのは江戸時代は水路も多く、現在では埋め立てられていたり、道路下になっているところも多くあるようですが、通りのラインを比べていくと、だいたいの位置が分かるので、かつての建物がどのあたりにあったかなどが、イメージしやすいところですね。
 関東大震災や空襲で燃えたり、失われたものも多いところ、江戸時代と変わらぬまま維持されているところも沢山あるのが、東京の魅力の一つだと感じます。
 かつての江戸の風景といえば、歌川広重の「江戸名所百景」ということで、画像のA~Eは地図からなんとなく把握した「江戸名所百景」での浮世絵が描かれているポイントを入れてみました。
A:する賀てふ
A:する賀てふ(するがちょう)です。
 日本橋の南北の長屋は、江戸城と富士山が見えるよう計画の上、建築されていました。
 駿河町は、南西の方向に真正面に”駿河”の富士山が見られたことから、駿河町と名付けられ、駿河町の両側全域を呉服店越後屋が占めていました。
 越後屋は三井家がおこした店ですので、店の壁?にも三井のマークがしっかり描かれています。
B:日本橋江戸ばし
B:日本橋江戸ばし
 日本橋の上からの景色を描いたものです。
 絵の左には橋の欄干に擬宝珠が描かれていますが、擬宝珠を描くことで橋の格式が高いことを表現しています。
 江戸城の御門前の端には擬宝珠がついていたそうですが、町家で擬宝珠がついていた橋は”日本橋”と”京橋”に”新橋”の3つしかありませんでした。
 絵の右下に鰹が描かれていますが、日本橋の北岸には魚河岸があったので、ちょうど鰹を売りに端を渡っているところを描いているものです。
 真ん中に白い壁の蔵が並んでいるところは、小網一丁目で船積問屋や小網三丁目の行徳河岸、本所深川の小名木川を通って行徳への定期船が出ていたところです。
C:日本橋雪晴
C:日本橋雪晴
 日本橋は、海から登る朝日をじかに見られたことから、日本橋と名付けられたとも言うそうです。
 橋下に多数の船が描かれていますが、日本橋は日本全国の産物が船で運び込まれる港であり、市場・問屋・倉庫街だったためです。また、右上に描かれているのは江戸城です。
D:鎧の渡し小網町
D:鎧の渡し小網町
 小網町の辺りは埋め立てされる前、前島という海浜でした。
 八幡太郎義家という人が、ここから下総国へ海を渡ろうとして船をこぎだしたところ、暴風で船が転覆しそうになりました。
そこで、鎧を海になげいれ龍神に祈ったところ、海を無事に渡れたという話をもとに、小網町と茅場町つなぐ渡しを「鎧の渡し」と呼ぶようになりました。
 絵地図にも、鎧の渡しと書かれています。
 海を渡った義家は無事に戦に勝利し、戦勝のお礼に兜を埋めたところが兜塚とよばれ、茅場町の松平泉守の屋敷内に兜塚がありました。兜町という名称は、この兜塚からきているものです。
 小網町の辺りは、船積問屋が並んでいたというところで、蔵が終わりの見えないところまで並んでいます。
 日本橋は江戸の中心として栄えたところ、蔵の並びからも繁栄ぶりが想像できます。
E:大てんま町木綿店
E:大てんま町木綿店
 大てんま町は、かつてはここに奥州街道の宿駅があり、多くの伝馬が用意されていたことから、大てんま町と名付けられました。
 ですが、千住大橋が隅田川にかかり、奥州街道の宿駅が千住へ移ったことから、伝馬町から姿をかえて木綿店がつらなる通りへと姿を変えていきました。
 大伝馬町は、天下祭りの山王祭や神田明神祭に一番山車を出していたということで、とても栄えた町だったようです。
 描かれている店も黒塗りのシッカリした店構えで、老舗感をこれでもか!と出してきてますね。
F:大伝馬町ごふく店
F:大伝馬呉服町
 Dと同じく大伝馬町の木綿店を描いたものです。
 絵に描かれている大に丸は大丸屋のことで、あの大丸です。
 もともとは京都の呉服屋だったものが江戸に進出し、越後屋と同じ”現金掛け値なし”商売で成功した店です。
 左上の看板にも、大丸屋の文字とともに現金掛け値なしの文字があり、当時の人には一目であそこだ!と分かったのでしょう。
 絵の右側に派手な一行が描かれているので、何かの祭りかと思いますが、先頭は大工の棟梁で後に鳶職の頭に屋根職人などが続いていて、建物の上棟式を終えて帰るところを描いたものです。
 行事や縁起物を大事にしていたのだと思いますが、なかなか派手な出で立ちで、ぱっと見で大工には全く見えません。
 玄人になれば、手に持っているいろいろなモノを解読して、描かれているのが何なのか分かるんでしょうが、小坊主にはさっぱり分かりませんでした。

 絵地図に合わせて、当時の江戸の風景を見ていくと、ただ通りを歩いているだけなのに、当時の活き活きした江戸の町並みや生活感が伝わってきて、ワクワクします。
 七福神めぐりも、江戸時代から新年の庶民の初詣をかねた新春イベントだったといいますし、かつての江戸庶民にならって、七福神めぐりで福をもらいに七福神めぐり@散策②へ続きます。




<参考図書>
広重の大江戸名所百景散歩


もち歩き 江戸東京散歩(切絵図・現代図で歩く)

スカイツリーまで散歩もできる猛禽類カフェ(鷹匠カフェ)にて、フクロウに和む『鷹乃眼』@押上 スイーツ・喫茶

 押上にひっそり?と、猛禽類カフェがあるとのネタを聞きつけ、いってきました!
 その名も「鷹乃眼」(墨田区業平1-8-9 定休日 月・木)


 店の前を何度か通ったことがあるのですが、一人では入れないなぁと思っていたところへ、しぶしぶ行っても良いという人をゲットしたので、「いつ行くの?今でしょ!」という勢いを大事に突撃してきました。

 お店のシステムとしては、飲み放題(一部)に、猛禽類の接待付きのパック料金で、夜のお店のようです。
 コールドドリンクであれば、1時間1,000円で飲み放題という明朗会計。
 ボッタくりは、ありませんでした!
 ご安心ください。
(小学生以下のお子様については、鳥たちを保護するためお断りさせていただく場合がありますとの注意書きがありました。保護者同伴で、必要以上に騒いだりしなければ、問題ないようです)
 店内は、飲食スペースと触れ合いスペースに分かれていて、ガラスを通して触れ合いスペースでの他のお客様の触れ合いっぷりを鑑賞することもできます。
 中には触れ合うのが苦手な猛禽もいるそうなので、注意が必要です。

 で、ここからは触れ合いスペースでの猛禽たちの写真になるのですが、動物園以外でここまで至近距離でフクロウや鷹を見ることができるのは、貴重です。
 こちらの店では、フクロウが多く8羽ほどいました。
 午後の時間に行ったのですが、まだ、明るい時間だったので、フクロウはすごく眠そう・・・というか、半分、寝てました(笑
 夜行性なので当然なんでしょうが、これが夜になると、もっと活発になるんでしょうか・・・
 活発になったらなったで、狩られそうですが。
 それぞれのフクロウには、写真付きの説明資料が飲食スペースに置いてあったのですが、見分けがつきません。


 こちらのフクロウは、ヒゲ?がイギリス紳士のようで、チャーミング。
 フクロウや鷹の種類としては、結構、珍しい種類がいるそうで、分かる人にはレアものだ!と心にグッとくるようです。

 鷹は4羽いましたが、フクロウと違ってキリっとしてます。
 鷲と鷹の違いは大きさだけで、種類としては大きな違いがないそうですが、鷹でも十分にデカいです。
 こちらでは、手乗り文鳥ならぬ腕乗り(場合によっては、頭乗り)鷹をさせてくれます。
 グローブを付けて腕に乗せてもらうんですが、足がガッチリ食い込みます。
 重さはそこまで感じません。ただ、腕を水平に維持しないと鷹が落ち着かなくて、暴れます(笑
 しかし、間近でみる鷹はカッコいい!
 なんだろう、足やクチバシの鋭さは、カラスもあまり変わらないんですが、オーラが違う気がする(偏見だと思いますが)
 カラスは俗世間につかりすぎてる気がする。鷹は孤独さがあって群れないオーラが魅力です。


 これもフクロウなのですが、左のフクロウがデカい!正直、鷹より大きかったです。
 フクロウというと、ミミズクと聞いたことあると思うのですが、これがミミズクという種類だそうです。
 確かに眉毛のように耳が、とても立派です。
 大きさは、普通の大人の上半身くらいの大きさがあるので、羽を膨らませて体が拡張されてると、なかなか迫力があります。
 正直、怖い(笑
 撮影するために、隣に座らされていた子供さんが怯えていました。自分と同じくらいの大きさの鳥が、真横にいたら、それは怖いよね。
 大きい割には、大人しいので触れ合いスペースにいるんだと思いますが。
 右の小さい変な顔?のフクロウは、ミミズクになついているのか、ずっと隣にいました。
 それぞれの鳥にも性格があって、寂しがり屋や孤独好きなど、いろいろあるようです。
 フクロウは、半分、寝てたので性格のほどは、全然、分かりませんでしたが(笑
 反対に、間近で撮影しても威嚇されたりしないので、安心してみることができるので、良いのではないでしょうか。
 追加料金を払えば、アフターで散歩させてもらって、スカイツリーと一緒に撮影もさせてくれるようです。
 押上までスカイツリー観光に来られた際は、ぜひ、猛禽類との触れ合いも楽しんでほしい!
 スカイツリーだけみて帰ってしまう人も多いそうなので、もう少し周辺も散策できるようになっていくと、活性化して良いんじゃないかな。
 猛禽類カフェ、ありふれたオサレカフェに飽きた玄人の皆様に、お勧めいたします!



大浮世絵展@江戸東京博物館 展覧会レビュー

 ここ最近、ランチブログしか書いていないし、忘れないうちに展覧会レビューを書いておかねば!と反省しました・・・
 1月に江戸東京博物館で開催されていた「大浮世絵展」に行ってきました。

 見どころとしては、浮世絵の傑作が大集結ということで、約340点(展示替えふくむ)もの浮世絵が集まり、浮世絵史をたどりながら多様な浮世絵を楽しむことが出来る!というものです。
 時代も浮世絵の始まった17世紀から始まり、黄金期を迎える江戸中期18世紀末、浮世絵が西洋に影響を受け、変わっていく末期?明治初期20世紀までを一気にみていくことができました。
 本当に大小様々な浮世絵が展示されていたのですが、その中から、とても印象的だった作品を見ていきたいと思います。




鈴木 晴信 「雪中相合傘」
 こちらは、鈴木晴信の「雪中相合傘」で、展示構成としては「第三章 錦絵の誕生」に展示されていました。
 雪中の静寂さ、黒と白の対比が素晴らしく、感情豊かな絵です。
一筆斎文調 墨水八景「綾瀬の夕照」
 こちらも「第三章 錦絵の誕生」に展示されていた絵で、田園風景らしい緑が鮮やかで、印象に残る作品です。

渓斎英泉 「江戸日本橋ヨリ富士ヲ見ル」
 第5章「浮世絵のさらなる展開」に展示されていた作品です。描かれる風景も良いのですが、絵の周囲に描かれている南蛮文字が目を引きます。文字との組み合わせを見たのが初めてで、中央の絵を引き立てる良い効果を発揮していると思います。
 鎖国時代だったとはいえ、まったく海外との接点がなかったわけではなく、出島を通していろいろと西洋の技術や文化が入ってきていたようです。
 当時、南蛮文字との組み合わせは、斬新なデザインだったのでしょうね。


葛飾北斎 「相州大山ろうべんの滝」
 同じく第5章「浮世絵のさらなる展開」での展示品です。神奈川の阿夫利神社のある大山にある滝を描いたものです。
 今も昔も変わらず、有名な観光地だったのですね。こちらの絵で印象的なのは、流れ落ちる滝や滝下の水の表現が素晴らしいです。
 滝に打たれる男たちも、どこか愛嬌ある感じで、明るい雰囲気が好きです。

葛飾応為 「夜桜美人図」
 こちらの絵も第5章「浮世絵のさらなる展開」に展示されていたのですが、解説を読んでビックリしました。葛飾応為は北斎の娘だそうですが、自分には描かれる絵から北斎とのつながりを全く読み取れないくらい印象が違います。
 北斎の絵には浮世絵らしいカラッとした明るさに満ちているのですが、夜明りの光の表現といい人物の情緒的な雰囲気といい、ここまでくるとほぼ西洋画のように見えてしまい浮世絵ということを忘れてしまいます。
 浮世絵にもこういった光を表現する方法があるということに、素直に感動と表現力の可能性を感じます。
葛飾応為 「吉原格子先之図」
 今回の展覧会では展示されていなかったのですが、応為にはこちらの作品もあるようです。
こちらを見ても、本当に光の表現が印象的で、とても素晴らしいと思います。現存する作品がほとんどないとらしく、とても残念です。
 当時の人々の評価が分からないのですが、長く描いていれば一時代を築けたのでは?と思ってしまいます。


山村耕花 「上海ニューカルトン所見」
 最終章の第6章「新たなるステージ」に、展示されていたものです。
 こちらは、もう大正時代の作品です。
 浮世絵というか大正ロマンの広告みたいに見えてしまうのですが、版画です。
 色の表現といい、構図といい技術の進歩に西洋の影響がハッキリみえて、時代と題材の変化が絵に与える影響の大きさを感じます。
 自分は個人的には、こういうモダンな絵は大好きです(笑
 時代的には明らかに古いのですが、骨董とまではいかず、クラシックさに品を感じることができるのです。
 今回の展覧会では、黎明期から大正までの浮世絵の流れを一気に見ていくことができたのですが、名の知られた北斎以外にもいろいろな表現に挑戦し、浮世絵の世界を開いていった作家の世界、表現の変化を見ていくことができて、とても良い展覧会でした。
 特に後半になると、女性作家がでてきて葛飾応為や山村耕花など、全く方向の違う表現がでてきたことに浮世絵の奥の深さを感じることができました。
 来年頃には、墨田区に北斎美術館ができるというので、そちらの開館も楽しみにしています。
 小坊主はまだまだ、勉強不足で大和絵・錦絵の違いも上手く理解できていないのですが、日本画の世界もベンキョーしていきたいので、今後もいろいろ分野にこだわらずに鑑賞してきたいと思っています。