パイナップル缶詰を型取りに使ってみたよ、カップ@陶芸




 新作のカップが出来ました。
 カップは前にも作ってますが、今回はもうちょっと深めのものを作りたくてやってみました。
 大きさ的には、手軽なものが出来ました。
 重くもないし、使いやすいんじゃないかと。
 中も白くしなかったので、コーヒーの色が付かない・・・かな?
 まぁ、手で形を整えたので若干、三角っぽく歪んでしまったり斜め線のところに亀裂が入ったりしたけど、釉薬で埋まったから何とか使えるんじゃないかな~と思います。
 型は、パイナップルの缶詰を再利用しました。
 缶詰自体に、波みたいな線がついてたので、それをそのまま土に付けてみて・・・意外といいアクセントになったかな?
 缶詰も、やりようによっては良い型として使えます
 これは、型取りに使える!って情報あれば教えてください。




色合いはまぁイイけれど・・・歪んでしまったぐい呑み@陶芸





新作のぐい呑みが出来ました。
今回は、結構軽くすることができたので、普段使っても手が疲れないと思う。
これぐらいの重さなら、日常使いにもイケル!
最近は絵付けばかりやっていたので、今回はシンプルに単色で釉掛けしてみました。
色が初めから混ざってるような感じなので、単色でもランダムな変化が出てくれたので飽きずに使えそうです。
ただ、酒を入れても色が重めなので、何か酒の色見とかは地味になりそう・・・




広重の大江戸名所百景in両国





前からかなり間があいてしまったけど、「広重の大江戸百景」を片手に両国の散策に行ってきました。
普通は、国技館とか行くんでしょうが、そちら方面はスルーw
上の写真左が、江戸時代の両国周辺です。写真右が今の地図。
地図を見ると、かつての御竹蔵(江戸幕府の材木蔵)のあたりが、国技館に江戸東京博物館になっているのが分かります。
江戸時代の時点で、周りに武家屋敷とかがあったんで、広い敷地があったのがそこしかなかったんでしょうね~。
こうやって比べると、現代で大きな敷地や建物のあるところは、武家屋敷か寺があったところが使われてるようで、昔から東京は過密都市だったんでしょうか。






右端は回向院から隅田川方面、真中は両国橋から隅田川方面、左端は両国花火を広重が描いたものです。




かつての江戸は水運の町ってことで、船が多いですね。 両国橋が出来たのも、江戸時代の大火事・明暦の大火(1657年)以降のことなので、まずは船でしか対岸に渡れなかったのです。
しかし、よく転覆したらしく「三途の渡し」とか言われてたようで、なかなか命がけだったんですかねw
右が今の両国橋の写真ですが、改めて見ると対岸までけっこう遠い!
隅田川の真中あたりで転覆して、泳げるかな。
水を含んだ着物は、重そうだしな~とか下らないことを想像してしまいました。
でも、かつてはこの間に木材の橋が架かってたのかと思うと、江戸時代の技術も大したもんです。
今の風景は、川の水も暗いし船を見ることも少ないので、ちょっと味気ないのが残念。





次は、回向院へ。
ここも明暦の大火で亡くなった人を供養するために建てられたところです。
初めて行ったんですが、有名なのに変に観光地化してなくて落ち着いた感じが印象的です。
鼠小僧の墓があるのをここに行って、初めて知りました。
しかも、何故か合格祈願の名所らしいですね。
墓石を削っていくのも、ここで初体験しました。
が、墓石を削ろうにもさすがに固い!
白い粉がちょっと出たぐらいで、諦めましたw
今後、何か試験でも受けることがあれば、その時は気合を入れて削ることにします。




次は、松坂町で吉良邸跡に行きました。
吉良邸って、残ってたんですね
ここは、かなり小さい跡地でしたが右端の吉良首洗い井戸があったりと、ほほぅ!と好奇心を刺激されるところです。
前は年末によく忠臣蔵やってましたが、さすがに視聴率取れないからか、やりませんね。
忠臣蔵は子供のころに、見た程度の記憶ですがこうやって実際に跡地に来てみると、もう一回みてみようかという気になります。
そういう意味じゃ、もっと江戸の生活や歌舞伎とかベンキョーした方が発見があって、こういう散歩ももっと面白くなるかもしれません。

最後は、隅田川を見ながら茶をしばいてきました、
場所は、映水庵です。
小さなカフェですが、チーズケーキは美味!
目の前の隅田川を眺めながら、ぼーっと出来ると思います。
若干、隅田川が濁ってるのは愛嬌ですw