奇想の王国 だまし絵展

渋谷 Bunkamuraで「奇想の王国 だまし絵展」に行きました。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/09_damashie/index.html


アルチンボルト、歌川国芳以外にもエッシャーやダリ、ルネ・マグリットとか
有名な人の絵もあったし、全然、知らない人のモノも多数ありました。
だまし絵というと、アルチンボルトのこんな奇抜な絵やエッシャーをイメージしてましたが、安直なイメージに捉われてました。
反対にもっとこういう静物画で、実物を描きながら錯覚を覚えさせるほどの画家の技術に圧倒される展覧会でした。
平面上に、どれだけ現実と見間違えるほどのモノを描くか。
そもそも、一つ一つの事柄を正確に描き出せる力がないとだまし絵は描けないんですね。

下の絵は、コルネリス・ノルベルトゥス・ヘイスブレヒツ《静物-トロンプルイユ》というもので、キャンパスに木の下地を描いて、その上で更に木枠から外れる絵を描いて、下地を実物と錯覚させるように出来てます。
どれも立体感が素晴らしく、2Dであることを忘れさせてくれます。
それぞれの物体の大きさの比率がしっかりしてて、ブレがありません。
これだけ、しっかりした描き方が出来るのは、普通に凄いな~と感心しました。
大きさの縮尺や比率のバランスを崩さずに描くのって、難しそうですよね。
描写力を高めるのに、修行したんでしょうか。
普通に静物画のレベルが高い展示が多かった。

日本の絵もありましたが、歌川国芳の浮世絵もあったけど、反対に河鍋暁斎「幽霊図」や鈴木守一「秋草図」のように、普通は表装の部分に描きこんだものが多かったです。
だまし絵というより、デザイン画みたいな感じで装飾的な方法が活きていました。
なかなか、カッコいいですね。
珍しいもの見たさというより、画家の技量を味わうって感じでいくといろいろ楽しめると思います。
お勧めします。

上野 ルーブル展

行きたいと思っていた上野 国立西洋美術館の「ルーブル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」に行ってきました。
http://www.ntv.co.jp/louvre/

金曜の夜は夜間拝観で20時まで開いてるので、ゆっくり見られるかなと期待していったけど・・・・
甘かったw
皆、考えることは同じようで90分待たされました。
入館制限してるのに、中も結構混んでて・・・人気のほどを感じました。
メインはフェルメールの「レースを編む女」だと思うんですが、個人的にはあまり印象に残りませんでした。絵の前には人だかりが出来てて、あまり見られなかったってのもあるんでしょうが、それよりも他の絵画のほうが良い作品が多かったです。


まず、パッと目を惹いたのがどこかで見たことある絵ってことで、ラ・トゥールの「大工ヨセフ」
蝋燭の光の表現の美しさに目を奪われるけど、登場人物の表情が好きです。
年齢を重ねたヨセフの重みある表情に対して、若いキリストの瑞々しい表情の対比に惹きつけられます。
あと、人物の重量感というか地に足の着いた安定感が見るものにも、重みを与えてくれています。



次に印象に残ったのが、この「バテシバ」
始めて見た絵で、作者はウィレム・ドロスト・・・知らない人です
が、何というかこう憂いを帯びた表情がエロイです。
決して半裸だからじゃないですよw
お前はそこしか見てないだろう!って不届きなことをいう人がいるかもしれませんが、そんなことはありません!・・・多分
暗闇の中に浮かび上がる姿に、静かな精神性を感じます。
光源の取り方が幻想的な雰囲気を醸し出してます。あと、体の表現がやっぱりバランスがしっかりしてて見てて安心します。

最近、人物画を見ると重心の表現とか見るようにしてますが、しっかりした重みのある表現ってのは、大事なんでしょうね。



「エスランの聖母」 シモン・ヴーエ
これも、知らん人です。実は有名な人だったりして・・・・
この眼差しがエロイですw
問いかけるような誘い込むような眼差しで、これも表情が素晴らしいと思います。幼児のキリストは、子供なのに眼差しが大人びてて怖いですがw
でも、ポッチャリ具合が幼児らしくて触ってみたくなります。
肌の質感も良いですね。
しかし、この聖母は美人ですね!
今回の展覧会には、美人が多かった。



「6人の人物の前に現れる無原罪の聖母」ムリーリョ
この聖母もなかなか美人です。
お前はそればっかりかと言われそうですが、美人が多かったんですよw
これまた、雰囲気の違う聖母で幻想的な雰囲気があります。
理想化されてるのは分かるんですが、この祈りの姿に惹かれます。
他の6人の人物はどうでも良いんですがw
でも、いないと絵のバランスが崩れるんで仕方ないですかね・・・
右に天使がいますが、アレも特に意味があるんでなくて、いないと左右のバランスが崩れるからじゃないかと思いますが。
最近、そんな風に絵を見るようにしています。
同じ聖母にしても、人によって描かれ方が様々で人気ある題材だけに違いがハッキリしてて、比較していくだけで楽しめます。
今回は美人ばっかり反応してしまったけど、それ以外にも目を惹く良い絵が沢山ありました。
六本木のルーブル展より、やっぱりこっちのルーブルが良いですね。
並んだかいがありました。
人が多くてゆっくり見られなかったのは残念ですが、まだの人は頑張って並んででも見ることをお勧めします。
さて、次こそ「日本の美術館名品展」に行ってきたいと思います。
http://museum-islands.jp/
木曜にアート講座を受けてきたので、予習はバッチリです!


見所は西洋画よりも、明治・大正から昭和初期にかけての日本画家の良品が沢山あることだそうです。
明治・大正にかけて、一気に西洋から流れ込んできた絵の世界を日本画家がどれだけ影響を受けて取り込んでいったかが分かる展覧会だそうです。
セザンヌの影響はデカイ!ってことが分かるらしいので、じっくり見てきたいと思います。
でも、日曜に先にブンカムラの「奇想の王国 だまし絵展」に行ってきます。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/09_damashie/index.html
これも、講座で説明してもらったアルチンボルドに歌川国芳が出てるようなので、思い出しながら見てきます。

日本橋 高島屋 日本の美

日本橋に行ったついでに時間が出来たので、高島屋へ「日本の美と出会う-琳派・若冲・数寄の心-」へ行ってきました。


京都の平安神宮近くにある細見美術館の開館10周年記念の展示会でした。
行こうと思いつついってない細見美術館ですが、10周年なんですね。
もっと昔からある美術館と思ってたんですが、意外と最近出来た美術館だったんですね。
展示品は細見美術館が琳派の専門なので、琳派のものになるんですが、時代が江戸後期から大正・昭和初期が中心でした。
琳派というと、つい安土桃山時代とか想像してしまうので、江戸・大正時代は新たしかったです。
何かあれですね、色が落ちてないからキレイですね!
特に桜のピンクとか、とても鮮やかでした。
ピンクの似合う男としては、ピンクの使いっぷりに敏感に反応してしまいますw
若冲も少し展示されてましたが、よく大きな展覧会にあるような原色たっぷりの鶏のようなのはなく、もっと抑え目に描かれたものが多かったですね。
細見美術館も個人?の人が収集したものを展示してるようなので、重くない若冲で楽しめました。
最近、デッサンの本とか読んだのでアレですが、花鳥風月は平面的な感じもあるんですが鳥や人については、結構、立体感があるんだなということに気がつきました。
西洋がほど遠近法がしっかりしてるわけじゃないのに、立ち姿とか重心がしっかりしてて、若干、奥行きがあるように感じられます。
描き方の工夫というか、絵描きの技術が凄いんだなぁと思うようになりました。
正直、自分みたいに絵が描けない場合、幾何学模様に逃げちゃうんじゃないですかね。
そう考えると、デッサンって大事ですね。
立体感をキチンと捕らえるってのは、難しい・・・
煩悩はなくなりませんが、修行しますw
Artセミナーを受けてきました。
内容は「阿修羅」について。

美術アカデミー&スクール「阿修羅の実像」
http://shop.art-a-school.info/
「阿修羅展」
http://www.asahi.com/ashura/

いやー、勉強になりました。
展覧会はまだ行ってないけど、楽しみです。
忘れないように、メモしとこう。

阿修羅とは?
ゾロアスター教の神「アフラ・マズダ」が、アーリア人によってインドにもたらされた際に、インドラ(帝釈天)の敵として、アスラになった。
そのアスラが中央アジア、中国を経て日本に流入した。
中央アジアの頃まで、アスラは1面2手で通常の人と同じ姿で表されていた。
これが、中国に入った際に3面6臂に変化した。
この頃のアスラは、2手に月と太陽を、2手に弓と矢を、2手に他の何かを持っている。
月と太陽、弓と矢を持っているのは、インドラとの戦いのために日・月食を起こして闇をつくるため。
弓と矢は、戦いのため。
少なくとも、必ず月と太陽は持っている。
3面になった理由は、分からん。
インドやアンコールワットで、描かれているのは「入海攪拌」の神話。
中国では、入海攪拌以降のインドラとの戦いが描かれている。
造作は、乾漆造で木枠の上に土で形をつくり、その上に漆で表現を整えた。そこから、中の土を取り出す造り方。奈良時代の最も高価な仏像の造り方。
軽いから、火事の際に持ち出せたのではないか?
中央の手は、合掌しているが肘から先は明治以降に修復されていて、本来は合掌ではなかったかも?
法輪や宝珠を持っていたか?
顔が鬼形ではないのは、西金堂が懺悔堂として造られたもので、懺悔し清らかになった状態を表しているため。