2014年4月29日

日本橋 七福神めぐり@散策① 江戸名所百景(広重)と切絵図とともに

 日本橋にも七福神コースがあり、コンパクトにまわれるということで、行ってきました七福神めぐり!



 まずは事前にコースチェックだ!ということで、google先生の力をかりて、ルート作成をしてみました。(水天宮が建替え工事のため、仮宮へ移転しており、こちらのマップとは場所が異なっています。2016年まで仮宮での運営予定)
 仮宮の最寄り駅は、浜松町駅になるので、ご注意ください(七福神めぐりのコースで、十分、歩いて行けるので、水天宮や日本橋から歩いて行っても問題ないと思いますが)

 日本橋七福神の巡回ポイントは、以下の7社。
1.小網神社(福禄寿・弁財天)
  中央区日本橋小網町16-23
2.茶ノ木神社(布袋尊)
  中央区日本橋人形町1-12-10
3.水天宮(弁財天)
  中央区日本橋蛎殻町2-4-1(建替え中)
  中央区日本橋浜町2-30-3(仮宮2016年迄)
4.松島神社/大鳥神社(大黒天)
  中央区日本橋人形町2-15-2
5.末廣神社(毘沙門天)
  中央区日本橋人形町2-25-20
6.笠間稲荷神社(寿老神)
  中央区日本橋浜町2-11-6
7.椙森神社(恵比寿神)
  中央区日本橋堀留町1-10-2
8.賓田恵比寿神社(恵比寿神)
  中央区日本橋本町3-10
 距離としては、徒歩で2~3時間で回れると思います。コンパクトにまとまっている方じゃないでしょうか。




 せっかくなので、江戸時代の絵地図とも比べてみましょう。縮尺が違うので、分かりにくいところもあるのですが、日本橋といえば、「越後屋」⇒三井家⇒三越ということで、江戸時代の絵地図にもしっかりと越後屋が載っています(画像だと分かりにくいですが)
 絵地図で面白いのは江戸時代は水路も多く、現在では埋め立てられていたり、道路下になっているところも多くあるようですが、通りのラインを比べていくと、だいたいの位置が分かるので、かつての建物がどのあたりにあったかなどが、イメージしやすいところですね。
 関東大震災や空襲で燃えたり、失われたものも多いところ、江戸時代と変わらぬまま維持されているところも沢山あるのが、東京の魅力の一つだと感じます。
 かつての江戸の風景といえば、歌川広重の「江戸名所百景」ということで、画像のA~Eは地図からなんとなく把握した「江戸名所百景」での浮世絵が描かれているポイントを入れてみました。
A:する賀てふ
A:する賀てふ(するがちょう)です。
 日本橋の南北の長屋は、江戸城と富士山が見えるよう計画の上、建築されていました。
 駿河町は、南西の方向に真正面に”駿河”の富士山が見られたことから、駿河町と名付けられ、駿河町の両側全域を呉服店越後屋が占めていました。
 越後屋は三井家がおこした店ですので、店の壁?にも三井のマークがしっかり描かれています。
B:日本橋江戸ばし
B:日本橋江戸ばし
 日本橋の上からの景色を描いたものです。
 絵の左には橋の欄干に擬宝珠が描かれていますが、擬宝珠を描くことで橋の格式が高いことを表現しています。
 江戸城の御門前の端には擬宝珠がついていたそうですが、町家で擬宝珠がついていた橋は”日本橋”と”京橋”に”新橋”の3つしかありませんでした。
 絵の右下に鰹が描かれていますが、日本橋の北岸には魚河岸があったので、ちょうど鰹を売りに端を渡っているところを描いているものです。
 真ん中に白い壁の蔵が並んでいるところは、小網一丁目で船積問屋や小網三丁目の行徳河岸、本所深川の小名木川を通って行徳への定期船が出ていたところです。
C:日本橋雪晴
C:日本橋雪晴
 日本橋は、海から登る朝日をじかに見られたことから、日本橋と名付けられたとも言うそうです。
 橋下に多数の船が描かれていますが、日本橋は日本全国の産物が船で運び込まれる港であり、市場・問屋・倉庫街だったためです。また、右上に描かれているのは江戸城です。
D:鎧の渡し小網町
D:鎧の渡し小網町
 小網町の辺りは埋め立てされる前、前島という海浜でした。
 八幡太郎義家という人が、ここから下総国へ海を渡ろうとして船をこぎだしたところ、暴風で船が転覆しそうになりました。
そこで、鎧を海になげいれ龍神に祈ったところ、海を無事に渡れたという話をもとに、小網町と茅場町つなぐ渡しを「鎧の渡し」と呼ぶようになりました。
 絵地図にも、鎧の渡しと書かれています。
 海を渡った義家は無事に戦に勝利し、戦勝のお礼に兜を埋めたところが兜塚とよばれ、茅場町の松平泉守の屋敷内に兜塚がありました。兜町という名称は、この兜塚からきているものです。
 小網町の辺りは、船積問屋が並んでいたというところで、蔵が終わりの見えないところまで並んでいます。
 日本橋は江戸の中心として栄えたところ、蔵の並びからも繁栄ぶりが想像できます。
E:大てんま町木綿店
E:大てんま町木綿店
 大てんま町は、かつてはここに奥州街道の宿駅があり、多くの伝馬が用意されていたことから、大てんま町と名付けられました。
 ですが、千住大橋が隅田川にかかり、奥州街道の宿駅が千住へ移ったことから、伝馬町から姿をかえて木綿店がつらなる通りへと姿を変えていきました。
 大伝馬町は、天下祭りの山王祭や神田明神祭に一番山車を出していたということで、とても栄えた町だったようです。
 描かれている店も黒塗りのシッカリした店構えで、老舗感をこれでもか!と出してきてますね。
F:大伝馬町ごふく店
F:大伝馬呉服町
 Dと同じく大伝馬町の木綿店を描いたものです。
 絵に描かれている大に丸は大丸屋のことで、あの大丸です。
 もともとは京都の呉服屋だったものが江戸に進出し、越後屋と同じ”現金掛け値なし”商売で成功した店です。
 左上の看板にも、大丸屋の文字とともに現金掛け値なしの文字があり、当時の人には一目であそこだ!と分かったのでしょう。
 絵の右側に派手な一行が描かれているので、何かの祭りかと思いますが、先頭は大工の棟梁で後に鳶職の頭に屋根職人などが続いていて、建物の上棟式を終えて帰るところを描いたものです。
 行事や縁起物を大事にしていたのだと思いますが、なかなか派手な出で立ちで、ぱっと見で大工には全く見えません。
 玄人になれば、手に持っているいろいろなモノを解読して、描かれているのが何なのか分かるんでしょうが、小坊主にはさっぱり分かりませんでした。

 絵地図に合わせて、当時の江戸の風景を見ていくと、ただ通りを歩いているだけなのに、当時の活き活きした江戸の町並みや生活感が伝わってきて、ワクワクします。
 七福神めぐりも、江戸時代から新年の庶民の初詣をかねた新春イベントだったといいますし、かつての江戸庶民にならって、七福神めぐりで福をもらいに七福神めぐり@散策②へ続きます。




<参考図書>
広重の大江戸名所百景散歩


もち歩き 江戸東京散歩(切絵図・現代図で歩く)

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