2014年1月13日

印象派を超えて点描の画家たち@国立新美術館 Art倶楽部

 Art倶楽部のイベントで、「印象派を超えて、点描の画家たち」@国立新美術館を鑑賞に行ってきました。




混み具合   辛  い/1・2・③・4・5/快適
作品の数   少ない/1・2・3・④・5/多い
面白さ   つまらない/1・2・3・④・5/面白い

 点描画というと自分は、スーラやシニャックしか頭になかったのですが、その流れを19世紀の印象派(モネなど)から始まり、20世紀の抽象画(モンドリアン)まで、一本筋としてまとめ変化を見ていくというものでした。
 点描の変化という形で、以下の5部構成になっています。

1.印象派の筆触
2.スーラとシニャック 分割主義の誕生と展開
3.ゴッホと分割主義
4.ベルギーとオランダの分割主義
5.モンドリアン 究極の帰結

1.印象派の筆触
モネ サンジェルマンの森の中で(1882年)
 まず、点描の走りとなったものが印象派の、筆触分割ということで、印象派の代表 モネの絵から始まりました。
 色合いの鮮やかさが美しい絵です。
 この色の鮮やかさは、印象派の特徴の一つである筆触分割・視覚混合によるものです。
 絵の具をキャンバスで混ぜると、最終的には黒色になってしまい色本来の鮮やかさを活かすことができません。
 そこで、絵の具を混ぜて必要な色彩を創りだすのではなく、必要とする色彩をキャンバスに配置し、鑑賞者の視覚混合で、それぞれの色彩が混ざりあって見えるよう表現する技法になります。
 
 この絵も近づいて見ると、大きめに油絵の具が乗せられていて重く感じます。
 ただ、少し距離をとって見てみると、全体的に印象がボンヤリしているのですが、色の境界がまとまってきて、曖昧な光のあんばいが心地よく見えてきます。
シスレー モレのポプラ並木(1888年)
 このシスレーの絵も、ややボンヤリしてますが、光の表現がより鮮やかに感じられます。
 木漏れ日の表現など、キレイです。
 穏やかな川辺の午後の一時を、妄想できてしまいそうです(笑

2.スーラとシニャック 分割主義の誕生と展開
スーラ グラブリーヌの水路、海を臨む(1890年)

シニャック マルセイユ港の入口(1898年)
 スーラとシニャックというと、自分の中では点描画家の代表となっています。
 展覧会に行き始めたときに、点描画というといつもこの二人の絵が展示されていました。
 色彩の鮮やかさが印象的で、全体的に明るい雰囲気のあるのが、好きです。
 長いあいだ見ていると、あまり変化や深みが見いだせず飽きてくるんですが(笑
 スーラの絵は、とても緻密で繊細な印象を受けます。ある意味、ドット表現でポチポチ色を配置していると、頭がオカシクなってきそうですが。
 そんな考えもどこかに飛ばしてしまうほど、スーラの絵は静けさに満ちています。
 それに対するシニャックの絵は、暖かい!
 朝焼けか夕焼けか分かりませんが、大きめの筆致で、暖色がふんだんに配置されていて、中心部からの暖かさが、光となって伝わってきます。
 スーラもシニャックも、色相環の組み合わせをいろいろと研究したなかで、それぞれが色を選んでいるのに、同じ海辺を描いていても画家の描く方向で、こんなに印象が変わるところが面白いです。

3.ゴッホと分割主義
ゴッホ 種まく人(1888年)
ミレー 種まく人(1850年)
 ゴッホも、スーラやシニャックと同年代の画家ということで、点描の技法にチャレンジしたことがあるようです。
 ただ、展覧会の解説によると、冷静さと忍耐力を求められる点描の技法と、大胆な筆致と強い色彩を好んだゴッホは、相容れなかったということです。
 この「種まく人」を見れば、確かに点描は合わないだろうなと、納得させられてしまいます。
 水平ラインでの強い構図の分割に、中心の太陽の力強いこと!
 見た瞬間に、色彩の強さにグッと引き込まれます。ゴッホはミレーが好きで、「種まく人」を何枚も描いているようですが、元祖、ミレー「種まく人」の宗教性も感じられる絵と比べると、その違いの大きさにそもそもの精神の違いを感じずにはいられません。

4.ベルギーとオランダの分割主義
レイセルベルヘ
「7月の朝」あるいは「果樹園」あるいは「庭園に集う家族」(1890年)
このレイセルベルヘという画家の絵は、今回、初めて見ました。
 色の配置などは、スーラのモノとよく似ていますが、スーラより暖かみのある雰囲気が感じられます。人物が大きく中心に配置され、季節も7月ということで、光が明るく表現されているからかもしれませんが、スーラの絵はどれを見てもキレイですが、一種の冷たさを感じさせます。
 技法が他の地域や画家に伝わっていく中で、別の形に組み立てられていくのを見るのも、絵画鑑賞の面白いところですね。

5.モンドリアン 究極の帰結
モンドリアン 色彩のコンポジションB
 最後に、モンドリアンが出てくるのですが、いきなり、いろんなモノがバッサリ切り捨てられてて、ビックリです(笑
 筆触分割に代表される色彩の表現が、どう変化していくか?を突き詰めると、抽象画にいきついたということなのでしょうが、飛躍っぷりが半端ないです。
 自然物も人物も光もなく、色彩のみが表現される・・・ここから、また何かを再構築していくことはできるのでしょうか?
 それとも、一度、抽象まで辿りついたなら、同じ地平で表現を考えていかなければならないのか。
 最近、陶芸で造形より、絵付けばかりやっている小坊主としては、ちょっと気になるところです。
 ま、自分の絵付けに具象も抽象もへったくれもありませんが(笑

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