ラファエロ展@国立西洋美術館 予習①

今月末に国立西洋美術館で開催されている「ラファエロ展」に行くので、事前に予習をすることにしました。

ラファエロと言えば、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロにならぶルネサンス期の巨匠です。
今回の展覧会では、「大公の聖母」日本初公開に加えて、ほか20点以上のラファエロの作品が鑑賞できるようです。
ということで、少しは知識を灰色の脳みそに詰め込んでから、鑑賞したほうがもっと楽しめそうなので、予習という苦行に耐えることにしてみました。

まずは、ラファエロ自身について軽く人生の流れを調べてみました。
1483年  ウルビーノで誕生
1491年~1494年 この間に父母を亡くし、11歳からペルジーノ工房で修業を始める。
*ペルジーノ 1450年~1523年頃のイタリアの画家 ペルジーノとは、ペルージャ人のことで、システィーナ礼拝堂の壁画装飾を担当するなど、当時でも有名な画家・・・だったようです。どうやって、そんな有名画家の工房に入れたのか分かりませんが。
1504年 フィレンツェへ移住。「聖ゲオルギウスと竜」等を制作。
1505年 「大公の聖母」「一角獣の貴婦人」等を制作
1508年 ローマに移住(25歳)
1510年 「アテネの学堂」完成(27歳)
1512年~1518年 上流階級の仕事などを精力的にこなす
1519年 システィーナ礼拝堂のタペストリ完成。「友人のいる自画像」制作
1520年 「キリストの変容」制作。46に高熱のため死去(37歳)
       国葬扱いで、ローマのパンテオンに埋葬
67歳まで生きた「ダ・ヴィンチ」や89歳まで生きた「ミケランジェロ」と比べると、37歳で亡くなっているので、早逝ですね。
反対に37歳までに多くの作品を作成し、巨匠と呼ばれるほどになるんですから、当時から才能がほとばしってたんでしょうね~。
だいたい、27歳の時点ですでにシスティーナ礼拝堂の壁画装飾に携わってるんで、世間に認められるのも早い!
ルネサンス期の社会背景とか調べだすと、いろいろ面倒くさ・・・大変で小坊主の灰色の脳みそには限界があるので、そういった所は別の機会にして、今回は展覧会に絡んだ作品等を見ながら、予習したいと思います。

というわけで、今回、日本初公開となる「大公の聖母」から見ていきましょう。
大公の聖母
ブノワの聖母

こちらが「大公の聖母」ですが、まずは聖母の表情がとても穏やかで、背景の黒さもあり、この黒い背景から浮かび上がるような聖母子の姿が印象的です。
ラファエロは「聖母子の画家」と言われるほど、数多くの聖母子を描いており、30~50点もの聖母子画があるようです。
その中で、この「大公の聖母」のみ背景が漆黒に塗られていて、何か特別な意味や背景があるのでは?ということで、専門家によるX線調査の結果では、ラファエロ没後に黒く塗られたものということが分かっています。
調べてみないと分からない事が、いろいろあるんですね~。
この「大公の聖母」はダ・ヴィンチの「ブノワの聖母」の影響を受けているのではないかと思われ、構図がたいへん似ています。
また、黒く塗られる前の絵には、「ブノワの聖母」のように右上に扉があり、そこから景色が描かれていたと考えられています。
そう見ると、絵の構成的には「ブノワの聖母」とまったく同じで、聖母子の顔の一部はスフマート技法で描かれています。
こうやって絵を並べてみると、そういう所がよく分かるし、ラファエロがダ・ヴィンチやミケランジェロからの影響を自分流に上手くアレンジして、自分の絵画に反映させていると言われますが、なるほど~と納得してしまいますね。
ラファエロ没後に誰がなぜに背景を黒く塗ったのかは分からないですが、「ブノワの聖母」だと、聖母がちょっと俗っぽくてお母ちゃん!って雰囲気があるんですが、「大公の聖母」は静謐な雰囲気があって、絵に締りがあります。
黒く塗られて、魅力がアップして成功した例じゃないでしょうか。
ひわの聖母
まき場の聖母

こちらは、どちらも1507年頃に描かれた「ひわの聖母」と「まき場の聖母」です。これも構図がとても似てて、描かれる小道具で題名を判別するしかないなぁって感じです。同じ題材で、注文主それぞれのために描き分けた作品なのかもしれませんね。
「ひわの聖母」は洗礼者ヨハネが持つ「ひわ」に、幼児キリストが手を伸ばす様子を描いていて、「ひわ」はキリストが茨の冠をかぶせられた時に、茨をクチバシで抜こうとしてキリストの返り血を浴びたとされています。
そこから、キリストの受難と血の贖罪を表わすということで、この絵はキリストの後の受難を自ら選択することを暗示しているそうです。
この構図も本来はダ・ヴィンチからの影響で、「岩窟の聖母」(どっちの岩窟の聖母か分からなかったのですが)の構図から来ているものです。

岩窟の聖母
ブリージュの聖母

いわゆる三角構図というもので、聖母の頭部を頂点にして、足元の幼児のキリストと洗礼者ヨハネが三角形を形づくるという構図です。
人物の構図は、ミケランジェロの「ブリージュの聖母」から影響を受けていると言われますが、聖母の足の間にキリストがくるという構図が確かに似ています。
同時代の画家同士が影響を与えあうのは当然ですが、ラファエロは自分流へのアレンジが上手いですね。
個人的には、ラファエロの血の通った聖母子の描かれ方が好きです。
特に聖母の表情が魅力的で、9歳頃に母を亡くしたラファエロの理想が反映されているのかもしれません。
聖母続きで何ですが、下の「小椅子の聖母」と「サン・シストの聖母」もどこかで見たことあるな?という方もいるのではないでしょうか。
小椅子の聖母
サン・シストの聖母

「小椅子の聖母」、「サン・シストの聖母」もともに1514年頃の作品です。
ラファエロは本当に多くの聖母子像を描いていますが、この「小椅子の聖母」は聖母子の表情が他の神秘性を与えられた聖母子と違って、溢れるような親密性に満ちてます。
円形というのも効果的で、圧縮された空間に聖母子がギュッと詰められることで、密着した感じから聖母の愛情がより強く表現されるようです。
しかし、ここに描かれる聖母は服装からターバン?も独特で、聖母子像と言われないと何かの肖像画等と間違えそうです。
洗礼者ヨハネなんか、これが聖母子像であることを形にするためのオマケみたいな感じです。
パトロンの奥さんか誰かをモデルにしているのでしょうか。

「サン・シストの聖母」は、画面にカーテンレール付きでカーテンが描かれてます。また、下の方には天使が肘をついているなど、なかなか変わった描き方をしていますね。
この絵は教皇ユリウスⅡ世を弔うために描かれたものだそうで、絵の左に描かれているのが、シクストゥスになぞらえた教皇ユリウスⅡ世です。
左下の3つに重なった冠も、教皇位を示すものということで、持物を通しても人物が誰か分かるようになっています。
右側に描かれているのは聖女バルバラで、キリスト教の洗礼を受けたところ、異教徒の父にローマに引き渡され拷問を受けながらも棄教せず、父に刺殺された殉教者ということです。
何でこの女性が聖女バルバラか?ということですが、バルバラは求婚者を退けるために塔に幽閉されていたということになっています。
そのため、彼女の持物には塔があるのですが、絵の右側に小さく見えているのが塔に当たるんではないかと思います。
反対に当時、聖女バルバラが人気あったからという理由もあるらしいですが・・・よく分かりませんでした。

とりあえず、今回は聖母子ばかり見てきましたが、これだけの聖母子を描きながら、多様な表情を描きわけていくラファエロの才能に驚きです。
性格も温厚で人気があったということで、寿命以外は全てを与えられた天才という感じで、小坊主としては羨ましい限り・・・
予習②の苦行に耐える精神力が残っていたら、次はアテネの学堂等も見てみたいと思います。